キリスト教の問題点について考える

キリスト教の問題点について考える

伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

偶像崇拝とは

f:id:christian-unabridged-dict:20180203095405j:plain

52. Why did the Israelites worship a golden calf? (Exodus 32)500questions.wordpress.com

 

出エジプト記 20:4 に、

あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。

 とあるので、これを守る。これが偶像崇拝の忌避であって、キリスト教徒はこれを戒めとして守るわけですが、プロテスタント教会は、カトリック正教会が行う聖像崇敬をも偶像崇拝に当たるとして批判しています。

偶像崇拝 - Wikipedia によれば、

1932年(昭和7年)5月5日に、上智大学の学生の一部が靖国神社の参拝拒否という偶像崇拝行為への拒否を公然化したため、「カトリック、否、全キリスト教そのものが日本の国体と相容れない邪教である。その信者やその活動である学校経営は反国家的である。日本を外国に売る売国奴である。外人教師や宣教師などはそれぞれの母国から派遣されたスパイである」と非難された上智大生靖国神社参拝拒否事件が起き、信者たちの信仰活動は動揺した。そのため信仰よりも教会防衛を優先した当時のカトリック教会指導層は「祖国に対する信者のつとめ」を出し、神社参拝を容認した。これらの偶像崇拝と宗教弾圧への動揺は今日では自己批判されている。

とあり、カトリックには国家の方針に逆らってでも偶像崇拝を拒否し、信仰を表す風潮が満ちていたことを知ることが出来ます。

一方、富田満 - Wikipedia によれば、

富田は自ら率先して伊勢神宮に参拝し、天照大神日本基督教団創立を報告し、発展を希願した。ホーリネス派の牧師が治安維持法違反で検挙されるホーリネス弾圧事件が起こると、教団を守るために該当牧師に辞職を勧告した。「天皇陛下の臣民」として、日本基督教団の総力を挙げて、大日本帝国に軍用機「日本基督教団号」を献納した。

と、日本基督教団の初代総統であった富田満が国家の方針に逆らわないよう、偶像神である伊勢の神宮に参拝し、国家に軍用機を献納した、とあります。

 

僕は、家庭の都合で、台湾で生まれました。幼稚園(台灣では幼児園といいます)は、台湾の長老教会付属の幼稚園に通いました。日曜日には、同じ教会の日曜学校へ参加していましたが、毎回教室の終わりには、ご褒美としてカードが配られます。イエス様やマリヤ様、使徒など、旧、新約聖書に現れる人物やそのエピソードを題材にした絵画が描かれているカードです。日本でも同じことをしているのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

これ、プロテスタント的にいえば「偶像」ですよね。 偶像は、人を神から引き離す、危険なもの、と言いながら、子供には平気で与えるわけですね。どういう理屈なんでしょうかね。

また、講壇上に十字架が無い教会堂もありますが、十字架が掲げられている場合もありますよね。無い場合でも、教会堂外部のどこかには 十字架があるでしょう。ステンドグラスがあれば、何らかの造形が表現されているでしょう。例えばキリストを象徴的に表す魚の絵などです。

「真の人間」でもあるイエス・キリストを「神」であると認識する時点で、それは偶像崇拝では無いとは言い切れないわけです。人間を神だと定義することは、偶像を崇拝するのだと宣言することです。それを、偶像崇拝は良くないことだと言うことは、自ら矛盾を産み出しながら、好んでそれに縛られて不自由になった手で他者を指して嘲笑っているようなものです。

偶像崇拝、などと厳しいことを言っていますが、結局は敵対他派を貶めるための屁理屈でしかないわけでしょう。言い出した自分達でさえ厳密に守ることができていません(笑)。