平野純さんのご著書「ブッダの毒舌」を読みました。原始経典「スッタニパータ」からいくつかの言葉を取り上げておられます。
僕は以前、岩波の「スッタニパータ」や「ダンマパダ」を読んでみたことがあるのですが、訳文が固い、というか、法律の文章を読んでいるようで今ひとつ頭に入ってこなかったことを覚えています。
平野さんのこのご著書は日常の親しみある文章で訳されていて、とても良かったです。もちろん、岩波の訳をされた先生も有名な先生ですので、頭に入って来なかったのは、僕の頭がお粗末なせいなのですが(笑)。
ここで少しご紹介させていただきましょう。
死を嘆くな。
死にとらわれる自分を嘆け。
妻子も父母も財産もあらゆる欲望のもととなるものを
捨ててただ一人歩め。
いかがでしょうか、福音書のイエス様の言葉を思い起こさなかったでしょうか。次の箇所です。
マタイによる福音書 10:34-39
地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。そして家の者が、その人の敵となるであろう。わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。
いかがでしょうか、この二つの提言はほぼ相似です。そして、その言葉数の違いを見てください。また、われわれ東洋人に理解しやすい言い回しはどちらでしょうか。
キリスト教徒の皆様にもおすすめの一冊です。
本ブログで過去にご紹介した平野純さんのご著書です。
christian-unabridged-dict.hatenablog.com