平野純さんのご著書「裸の仏教」を読みました。お釈迦様の生涯を、仏教者が「伝えたかった説話」と「ありのままのブッダ」の違いを通して説明されています。
平野さんの別作品をご紹介した「謎解き般若心経」でも申し上げたのですが、お話の道筋が真っすぐでわかりやすく、専門用語に対する説明がミニマルで、読者の意識が本論から逸脱してしまわないように考慮されているように思います。
「伝えたかった仏教」と「裸の仏教」がある、という観察を行い、なおかつ仏教の心を伝えることができる、という事実が示されていると思いました。キリスト教ではおそらくありえないことでしょう。
実際に生きていたのであれば、どのような人であれ、カエルのへそのような、有り得べからざる不都合な事実が存在するものです。その事実を文学的に修飾せずさらけ出してしまったらどうなるのだろうか、著者は本書でそれを行っておられます。
ぜひどうぞ。