キリスト教の問題点について考える

キリスト教の問題点について考える

伝統的教派プロテスタントの元信徒が運営するキリスト教批判ブログです

神とタブーと永遠の命

今回の記事のキャッチアイ画像はGoogleのジェミニに頼んでアダムとイブを描いてもらってみました。やっぱりちょっとおかしいですよね。りんごの木は接ぎ木したかのようになっていますし、実のなり方もちょっと不自然です。根っこが地上にもり上がっていますし、蛇は木に張り付いているようです。アダムとイヴのイチジクの葉の位置もちょっとおかしいですね。

 

さて、今回は創世記の第三章、後半について考察してみましょう。

'更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、 地はあなたのためにのろわれ、 あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。 地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、 あなたは野の草を食べるであろう。 あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、 あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。 さて、人はその妻の名をエバと名づけた。彼女がすべて生きた者の母だからである。 主なる神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた。 主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。 '

創世記 3:17-22
https://www.bible.com/ja/bible/1820/GEN.3.17-22

「あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。 地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、 あなたは野の草を食べるであろう。 あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、 あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」という神の言葉については、過去記事、

christian-unabridged-dict.hatenablog.com

で、

これを読むかぎり聖書の神は、人の一生はこの世に生まれて死ぬまでの間限りであることを説明している、と理解することができると思います。

といっています。創世記が著された時点においては、人が死んだ後には魂の行き先となる別の世界、天国と地獄があって、生前の行状によってそれぞれ振り分けられる、というような思想はまだなかったのです。周辺の外国で行われていた宗教の死後観に影響され、徐々に侵食された結果、ユダヤ教主流派の理解に入り込み、キリスト教においてはもう堂々と教義として成立してしまったということなのだろう、と推測することができます。

そしてなお面白い表現が続いていることに注目してみましょう。

、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」

人は土から生まれたのであるから、一生を終えたのちは土に還ってしまうのだ、と言っていたのに、ここでは、永久に生きるかもしれない、と言って心配しているわけです。

キリスト教徒の感覚であれば、「罪」とは「死」であるという理解になるでしょう。「永遠の命」は神が人に与える報奨であって、懲罰ではないはずです。しかしここでは、人が永遠の命を得ることは、タブーを侵した結果の現象であって、神はその結果が生じることをただ懸念しているだけです。

神の意に反した行動を行った結果、人の命が有限から永遠に変化し、神がそのことを懸念している。

子供の頃教会学校で、創世記の最初のほうは、文字通り実際にあったことだとは理解せずに読むべきなのですよ、と習ったことを覚えていますが、実際には、人が神をあがめるべきところの根本的な理由が説明されている重要な書物であると思います。宗教的な利害を超えて純粋にじっくりと対峙してみると、いろいろな面白い発見があると思います。