
「神のお告げの祭日」について考えてみましょう。「神のお告げ」は、上記ウィキに、
福音書における記述
受胎告知が記述されているのは「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」だが、それぞれ詳細が異なる。「マタイによる福音書」では(1:18-25)、ナザレではない地(2:22-23、おそらくベツレヘム)で、ヨセフの夢に天使が現れる。マリアに関しては、天使による告知の記述はなく、聖霊による受胎をすでに知っていたことのみ書かれている。一方、「ルカによる福音書」(1:26-38)では、ナザレにて天使ガブリエルがマリアの前に現れて受胎を告げる。ヨセフの方に対する言及はない。
と説明されています。
ルカによる福音書から、当該箇所を引用しておきましょう。
'六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。 この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった。 御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。 この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。 すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。 見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。 彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、 彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。 そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。 御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。 あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。 神には、なんでもできないことはありません」。 そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。 '
ルカによる福音書 1:26-38
https://www.bible.com/ja/bible/1820/LUK.1.26-38
wikiからの引用をもう少し続けましょう。
旧約聖書における受胎告知
マタイ作者によれば、『新約聖書』における受胎告知は『旧約聖書』中の「イザヤ書」(7:14)の預言に基づいている。だが、イザヤの預言はアハズ王に与えられたものであり、イエスの誕生と関係がなく、ましてや処女懐胎を意味しない。
過去記事、
christian-unabridged-dict.hatenablog.com
にも書きましたが、キリスト教の最も重要な出来事の一つである処女懐胎による神の誕生の逸話が、聖書の誤った解釈によるものだという事実からは、キリスト教全体が、そもそも誤った土台に建設されているという事実を知ることができると思います。
次に、東京のカトリック関口教会のサイトから、山本神父による「降誕祭とキリスト紀元」というコラムを読んでみましょう。
聖書は、イエス・キリストがお生まれになった月日を記していない。降誕祭が12月25日に確定したのは4世紀になってからといわれる。この日はもともと太陽の誕生を祝う異教のお祭りの日だったが、キリストこそ真の太陽なので、ふさわしいとされたのである。
クリスマスはキリストの誕生日ではなく、異教の太陽祭を拝借して、救世主がこの世にこられたことを記念するためのお祭りであって、しかもそのことは周知の事実であった、つまり、正しく教育されたキリスト教徒であれば、クリスマスはキリストの誕生日ではない、と認識しているのだと、という意味を読み取ることができると思います。
それでは次に、
から引用しましょう。
受胎告知(じゅたいこくち、英: Annunciation)とは、キリスト教の聖典である『新約聖書』に書かれているエピソードの1つ。聖告(せいこく)、処女聖マリアのお告げ、生神女福音(しょうしんじょふくいん)とも言う。一般に、処女マリアに天使のガブリエルが降り、マリアが聖霊によってキリストを妊娠したことを告げ、またマリアがそれを受け入れることを告げる出来事である。
マリア崇敬の思想を背景として、キリスト教文化圏の芸術作品の中で繰り返し用いられるモチーフでもある。
これを記念する祭日は東方に始まり、中世に西方につたわった[要出典]。現在もカトリック教会などでは3月25日、東方教会では4月7日を祭日としている。カトリック教会では「神のお告げ(の祭日)」と呼ぶ。正教会では「生神女福音祭」とし、十二大祭のひとつである[要出典]。
イエスキリストの生まれ落ちた日は聖書には記されていないのですが、12月25日であると定められた理由は上で述べた通りです。では、マリアがガブリエルからお告げを受けた日が聖書に記されていないのにも関わらず、3月25日と定められた理由はお分かりでしょうか。
その理由はクリスマスが12月25日であるからです。出産日が12月25日であれば、人間の標準妊娠期間である九ヶ月を差し引いた日付、 3月25日を聖霊によってみごもった日と考えたわけです。正教会が4月7日にこれを祝うのは、正教会では 1月7日にクリスマスを祝うためです。
生まれた日を正確に知ることができないのに、生まれたことを記念する太陽の祭日から人間の生理期間を当てはめて原因となった日にちを類推することに合理性はあるのでしょうか。キリスト教徒にとっては神は合理か不合理かといえば合理であるはずです。にもかかわらずこのような不合理を神に押し付けているわけです。
キリスト教徒というのは本当に変わった人たちだと思います。