前回記事で、金の子牛 - Wikipedia から
一説によれば、『出エジプト記』の幕屋建設に関する指示は、金の子牛の事件の反省から、より実体性のある信仰を民衆に与えざるを得なくなったからだとしている。
という説明文を引用しました。この「一説」について、さらに詳しく説明をしてほしいところではあるものの、興味深い説ではあるように思います。
聖書をみてみましょう。まずは金の子牛の一件から。
出エジプト記 32
1民はモーセが山を下ることのおそいのを見て、アロンのもとに集まって彼に言った、「さあ、わたしたちに先立って行く神を、わたしたちのために造ってください。わたしたちをエジプトの国から導きのぼった人、あのモーセはどうなったのかわからないからです」。 2アロンは彼らに言った、「あなたがたの妻、むすこ、娘らの金の耳輪をはずしてわたしに持ってきなさい」。 3そこで民は皆その金の耳輪をはずしてアロンのもとに持ってきた。 4アロンがこれを彼らの手から受け取り、工具で型を造り、鋳て子牛としたので、彼らは言った、「イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である」。 5アロンはこれを見て、その前に祭壇を築いた。そしてアロンは布告して言った、「あすは主の祭である」。 6そこで人々はあくる朝早く起きて燔祭をささげ、酬恩祭を供えた。民は座して食い飲みし、立って戯れた。
それを見たモーセは怒り、神から授けられた契約の石板を砕いた、とあります。
15モーセは身を転じて山を下った。彼の手には、かの二枚のあかしの板があった。板はその両面に文字があった。すなわち、この面にも、かの面にも文字があった。 16その板は神の作、その文字は神の文字であって、板に彫ったものである。 17ヨシュアは民の呼ばわる声を聞いて、モーセに言った、「宿営の中に戦いの声がします」。 18しかし、モーセは言った、「勝どきの声でなく、敗北の叫び声でもない。わたしの聞くのは歌の声である」。 19モーセが宿営に近づくと、子牛と踊りとを見たので、彼は怒りに燃え、手からかの板を投げうち、これを山のふもとで砕いた。 20また彼らが造った子牛を取って火に焼き、こなごなに砕き、これを水の上にまいて、イスラエルの人々に飲ませた。
そして、再び山に登り、新しい契約の石板を得て民衆の下へ還り、十戒を示し、幕屋の建設を命じます。その結果、民は喜んで財物を捧げて幕屋建設に協力した、と記されています
出エジプト記 36
2そこで、モーセはベザレルとアホリアブおよびすべて心に知恵ある者、すなわち、その心に主が知恵を授けられた者、またきて、その工事をなそうと心に望むすべての者を召し寄せた。 3彼らは聖所の組立ての工事をするために、イスラエルの人々が携えてきたもろもろのささげ物を、モーセから受け取ったが、民はなおも朝ごとに、自発のささげ物を彼のもとに携えてきた。 4そこで聖所のもろもろの工事をする賢い人々はみな、おのおのしていた工事をやめて、 5モーセに言った「民があまりに多く携えて来るので、主がせよと命じられた組立ての工事には余ります」。 6モーセは命令を発し、宿営中にふれさせて言った、「男も女も、もはや聖所のために、ささげ物をするに及ばない」。それで民は携えて来ることをやめた。 7材料はすべての工事をするのにじゅうぶんで、かつ余るからである。
なるほど。つまり、最初の契約文に幕屋建設の件は謳われていなかったのであるが、民衆が金の仔牛像に礼拝するのを見て、偶像崇拝を完全否定してしまうことは不可能である、ということを悟り、一度作った石板を破壊して、幕屋作成について加筆された石板を作成し直して、それを民衆に示した、と言っているわけですね。
金の仔牛像はやり過ぎだが、礼拝所であればまあいいだろう、というモーセの思惑と、金の仔牛がだめでも、美々しく装飾された、目に見える神の御まし座があれば、目には見えないがそこに臨在すると謂われる神を拝むことができる、という民衆の満足感が折り合って、無事にみやこ上りの旅を続けることができたのだ、といっている、というわけです。
聖書はこのように読み解いてこそ、その真価を知ることができる、と言えると思います。自動筆記だから書いてあるその通り、なに一つ疑ってはいけない、なんていうのは実につまらない、何の魅力もない、ただの流れ作業でしかないとおもいます。
私は、親が赴任中に台湾で生まれました。両親が日本キリスト教団に属する教会の会員でしたので、私も台北の長老教会で幼児洗礼を授けられ、教会付属の幼稚園に通わされました。よく礼拝中に走り回っては先生に叱られて、礼拝後に講壇のまえに正座させられたことなど、懐かしく思い出します。
教会堂の内陣には、カルバン系の教会らしく中央に説教台があり、その手前に聖餐卓、後面には十字架がありました。カルバン系の教会には十字架のないところも多いですが、この教会には大きな十字架がありました。
今だから告白できるのですが、当時私はあの十字架の中には常に神が潜んでいると考えていました。礼拝堂に入りベンチに座って手を組みながら十字架を見て、一生懸命に願い事をすれば、神が十字架から超自然的な力を及ぼして、願いを叶えてくれるのだ、と信じていました。
いかがでしょうか。幼いとはいえ、キリスト教徒の家庭に生まれて、キリスト教教育を受けているものが、十字架をみて、あれは神である、と理解するわけです。
モーセはこの危うさを知っていたので、最初の石板には礼拝所や儀式が必要だと記さなかったのです。しかし、そのように徹底してしまっては民衆の望みを満足させることができない、ということを知ったので方針を変更し、異教に倣って、神殿と礼拝儀式の様式を定義した、ということでしょう。
結局、「偶像を拝まない宗教」は存在し得ない。これが現実です。