「十戒」を知らないキリスト教徒はいないでしょう。教派によって内容が少し違うことはご存知でしょうか。Wikiから引用してみましょう
わたしはあなたの主なる神である。
- わたしのほかに神があってはならない。
- あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
- 主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
- あなたの父母を敬え。
- 殺してはならない。
- 姦淫してはならない。
- 盗んではならない。
- 隣人に関して偽証してはならない。
- 隣人の妻を欲してはならない。
- 隣人の財産を欲してはならない。
理由はともかくとして、十戒には2種類あるようです。そして、信者は、各々が所属している教会が定義するところの十戒を、これが十戒だと考えているでしょう。その他にべつの十戒があることはおそらく知らないでしょうし、知っていても別の十戒が正しい十戒なのではないだろうか、とは考えないでしょう。
聖書に、モーセが神から直接伝授したという十戒の内容が明確に記されているにも関わらず、十戒の定義には二通りあるのが現実です。
それは別の解釈が間違っているだけだ、ということは簡単です。ですが、双方ともそういわれても、ああそうか、とは納得しないでしょう。
教会グループ毎に一つの事柄であっても解釈が異なってしまうのは、聖書からは唯一の真実を導き出すことが出来ないからです。教義は教会の都合で決まるもの。実在しない神からは、何の都合も真実も導き出すことができないのです。
神様ってこんな方だよね。そんなことはしないよね、などと話している内に神のイメージは変更されていくのです。ある人と、別の人にとっての神のイメージは全く別のものといえるほど異なったものです。
神が仮定でしかない証拠です。