キリスト教の問題点について考える

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キリスト教と伝染病

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キリスト教にとって「病」とはどのようなものなのでしょうか。神の罰か、神が人に与える「天国への入り口(死)」というプレゼントのどちらかなのでしょうか。

ヨブ記を読んでみましょう。

ヨブ記 2:7-8

主はサタンに言われた、「見よ、彼はあなたの手にある。ただ彼の命を助けよ」。サタンは主の前から出て行って、ヨブを撃ち、その足の裏から頭の頂まで、いやな腫物をもって彼を悩ました。 

この記述を見る限り、世の中に有る「病」は、ことごとく神の知るところであり、また、神が希望しないのであればそれは発生しないのだ、と言うことができるでしょう。キリスト教的に正しく理解しようとするのであれば、病は神の業である、ということになるわけです。

それでは、病を治療して少しでも延命しようとすることは、神の方針に従うことになるのでしょうか、あるいは逆らうことになるのでしょうか、どちらなのでしょうか。キリスト教徒はおそらく、死んでも天国に迎えられるのでしょうから、この世で数年、数十年長生きしてもさほどの意味は無いでしょう。天国へ行ければ、なぜもっと早く天国へ来なかったのだろう、少しでも長生きしたいと望んだことがバカバカしい、と苦々しく回顧するのかも知れません。

どうせ死んでも天国へ行くのであれば、なぜ病を治療せねばならないのでしょうか。そうしなければ自殺に該当し、十戒に背いた罪で天国を逃してしまうからですか。

それは自殺になるでしょうか。自動車を運転したり、電車や船舶や飛行機で移動することは構わないのでしょうか。

そもそも、イエス様が神でありながら人に身をやつしてこの世に来られて、全人類の罪を一身に負って十字架で亡くなった、と理解しているのであれば、未だに病や犯罪が世に溢れ、争いが無くならないのはなぜなのでしょうか。

簡単な質問です。教会の言い分が詐欺的では無い、という確信がある人は、論理的に答えることができるはずだと思いますよ(笑)。