キリスト教大辞典

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キリスト教の問題点について考える

教皇とは何か

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このブログをご訪問下さる人であれば、カトリック教会という教会があることをよくご存知だろうと思います。そのカトリック教会でイチバン偉い人、といえば「教皇」ですね。「ローマ法王」とも言います。この「教皇」という言葉ですが、なんという言葉を翻訳したものであるか、ご存知でしょうか。教皇 - Wikipedia によれば、

教皇(きょうこう、ラテン語: Pāpa[1]、ギリシア語: Πάπας Pápas[2]、英語: The Pope)は、キリスト教の最高位聖職者の称号[3]。ヴァティカン市国の首長。

とあって、教皇の原語が「Papa」であることがわかります。次の記述に注目して下さい。

ラテン語が公式言語である教会法の正文の中では、教皇は「Romanus Pontifex ロマヌス・ポンティフェクス」(ローマ司教)という名であらわされる。「Pāpa(パーパ)」という呼び方は教皇に対する非公式な呼び方であり、公式な呼び方をすべてあげるなら「ローマ司教、キリストの代理者、使徒の継承者、全カトリック教会の統治者、イタリア半島の首座司教、ローマ首都管区の大司教バチカン市国の首長、神のしもべのしもべ」となる。このような長大な正式名称でよばれる機会はほとんどない

結局、教皇の正しいタイトルは「ローマ司教」であるようです。教皇がローマ司教? と思った人もいるのではないでしょうか。総主教 - Wikipedia から、692年に開催されたトゥルーリ公会議の議決事項の一部を引用してみましょう。

此の神に守護せらるる王城に集會せし一百五十八人(第二全地公會規則三條)及びハルキドン[注釈 2]に集會せし六百三十人(第四全地公會規則二十八條)の諸聖父の定規を再興して議定すること左の如しコンスタンティノポリの寶座は舊ロマの寶座と同等の特典を有し敎會の事に就ては其次に位して尊崇せらる可し其次は大都アレキサンドリヤの寶座其次はアンティオヒヤの寶座其次はイエルサリム城の寶座たる可し。
— 第六聖全地公会(トゥルーリ公会)規則第36条、『聖規則書』九十頁(正教会編集局、明治31年

ローマは五つの司教区(総主教区)の一つであって、教皇はその代表者である司教(総主教)である、ということがわかります。

新都コンスタンティノポリと旧都ローマの総主教には多少の特典があったようですが、他の、アレクサンドリア、アンティオキア、エルサレムの総主教、の順によれば、権威は同等であったとしても、尊崇の順はコンスタンティノポリがトップであって、ローマに総主教の長とか、使徒の長、ペテロの後継者であるようなことを示す記述があったわけではないことが分かります。

上に貼った写真はローマのラテラノ大聖堂ですが、これは現在でもローマの司教座(総主教座)であって、カトリック教会自身が正教会でいわゆるローマの総主教区であることを否定していない、ということがわかると思います。

そして Papa というのは尊称、もっとわかりやすく言えば愛称であって、ローマとアレクサンドリアの主教に与えられたものです。現状、アレクサンドリアには、トゥルーリ公会議によるアレクサンドリアの総主教区の流れと、非カルケドンであるコプト教会が並立していますが、両者とも主教には Papa という愛称がありますので、これを日本語に翻訳する場合も「教皇」となってしまう場合があるようです。

カトリックプロテスタントは、325年の第一ニケア公会議から787年の第二ニケア公会議までの7つの公会議の議決事項を承認していますが、692年のトゥルーリ公会議を承認していません。承認すれば、自分自身が異端になってしまうからです。しかし、Popeという呼称が、自分自身が造反者であることを証明しているようです。「教皇」という特別の職制を示す単語は無いのです。何ども言いますが「Papa」はローマ主教とアレクサンドリア主教に対する愛称でしかなかったのです。

都合の悪い条項が決定された公会議はその公会議自体を否定する、これではものみの塔モルモン教と同じです。トゥルーリ公会議はコンスタンティノポリ宮殿で行われた重要で正しい公会議なのですから、この会議を認めずに公会議主義を標榜するなどは笑止千万です。

おわかりでしょうか、公会議の決定事項を鏡にして正不正を切り分けるのであれば、キリスト教の教会は正教会だけになります。正教会の共同体から離反したカトリック教会は悪魔の誘惑に負けた造反者、さらにそこから分離した新教会などはキリスト教風味のお遊戯会程度の価値しか無い、ということになるでしょうね。