キリスト教の問題点について考える

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キリスト教大辞典:用語解体ファイル 04【罪(Sin)】

画像出典:https://toraiz.jp/

【用語】罪(Sin)

【世俗的・宗教的な定義】

アダムとイブがエデンの園で犯した罪(原罪)が人間の本性を損ねたため、以来人間は神の助けなしには克服し得ない罪への傾きを持つことになったという思想。神の意志に対する背信や、道徳的・倫理的な欠落を指す。 (参照:Wikipedia / キリスト教教理概説)


【本質的な解体(クッキングホイル的定義)】

神への背きではなく、人間を効率的にコントロールするために「負債感」を植え付けるための統治ツール。

共同体の中に「毒麦(異分子)」を生じさせないため、あるいは生じた際に排除の論理を正当化するための「判定フラグ」として機能する。  逆説的に言えば、人の罪こそが教会の「存在理由」であり、贖罪という名の解決策を提示し続けるための**信仰エネルギーの源泉(燃料)**そのものである。


【聖書からの示唆】

多くの信徒は、罪の定義を「何をしたか/しなかったか」という外面的なリストに求めますが、イエスの言葉はその「信仰という名の自己満足」を根底から突き崩します。

'わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。 '(ルカによる福音書 6:46)

人間は、自分の犯した罪を細かく数え上げ、ドラマチックに告白し、後悔のポーズをとることには長けています。なぜなら、その行為自体が「悔い改める自分」という新たな自己装飾(前回の用語解説で触れた『アクセサリー』)になるからです。

しかし、福音書が本来求める「よい行い」の実行においては、驚くほど無力であり、消極的です。宗教が定義する「罪」という概念は、皮肉なことに、人間が自らの無策を隠蔽し、教会の支配構造に依存し続けるための「甘美な言い訳」として利用されているのが現状です。


関連記事

「原罪」の欺瞞や、イエスのまなざしが捉えていた「罪」の本質については、以下の論考もあわせてご参照ください。


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