キリスト教の問題点について考える

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姦淫と目

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mag.japaaan.com

上に張ったリンクは、かつて東京に存在した吉原遊廓に関する情報を伝えるサイトのものです。このような性を売る商業は、日本に限らず世界中に存在するものでした。ほとんどは、男性が女性を性商品として捉えることにより、発生、存続する商行為であったわけですが、このような男性の性質について、イエス様は次のように言われました。

マタイによる福音書 5:27-30

『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方が、あなたにとって益である。もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である。 

しかし、情欲をいだいて女(性の対象)を見たことのない人は、おそらく一人もいないのではないでしょうか。異性(性の対象)である以上、その人を見ることは、多少であれ、性的な関心を伴わずにはいられないはずです。

これは無理な話です。イエス様はなぜこんな無理なことを要求したのでしょうか。

おそらく、この箇所も説明が十分ではないのでしょう。イエス様は、「情欲だけで女を見る者は」といいたかったのです。女性を性の玩具のようにしか理解できないものは、ということです。

女性であれ、男性であれ、まずは人間です。人間としての価値を尊重し、互いに尊敬し合うことの大切さを理解する、このことが大切なのだよ、と教えているわけです。

つまり、男女は同権であって、女性を性差別することは良くないことである、と言っているのです。どれぐらい良くないのかというと、目を抜き出して捨ててしまわなければならないほどだ、ということです。