キリスト教の問題点について考える

キリスト教の問題点について考える

伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

札幌光星学園神父刺殺事件

ja.wikipedia.org

 

札幌光星学園神父刺殺事件、について記します。今回の記事は、5ちゃんる宗教板の重鎮のお一人である、アストリッド (グノーシス派)さんからのご提案により作成しました。

ウィキから概要を読んでみましょう。

1997年3月7日、当時のカトリック教会マリア会の日本管区長であった神父は、年度末巡礼で札幌光星学園を訪れていた。その時に札幌光星学園の修道院の前で、この訪れていた日本管区長が腹から血を流して倒れているところが発見される。修道院には部外者は入れないため、これは内部の者による犯行ではないかと思われ関係者を集めたところ、札幌光星学園の修道士の姿が無かった。この修道士は神父を刺殺した後、修道院の自室で内側からを掛けて、包丁で腹を刺して自殺していた[1]

犯行の2時間前に神父と修道士が図書館で話しをしていた。この様子はかなり剣呑であった。自殺をした修道士の部屋にはメモが残されていた。これには人事異動に対する不満と、神父を許せないことと、自身はしてはならないことをしてしまったことが書かれていた。自殺した修道士は元々は刺殺された神父よりも上の立場にいる人間であった。だが1990年に刺殺された神父は日本管区長に選出されたことから立場は逆転していた。刺殺された神父は自殺した修道士に東京の修道院への異動を強く迫っていた[1]

自殺した修道士の救急車での最後の言葉は「札幌が好きだった」であった[2]

後日修道士と神父の救いを祈るレクイエムミサ札幌光星学園の聖堂で催され、暁星学園卒業の教え子も参加した[2]

実に驚かされる内容です。修道院というところは、俗世間では実現できない、理想の国、神の国の模倣を実現するところかと思っていたのですが、実際には、ドロドロした出世欲が渦巻く、拙劣な人間関係をしか実現できないようです。

同ウィキの記事から、脚注に示されているPDFの内容を文字に起こして引用しておきます。

「人間以下」と修道士に

  刺殺された神父

カトリックマリア会  ― 煩悩で頭が一杯の我々には 初耳だったが、これはローマに総本部を置き、世界各地で布教活動をしている敬虔なるカトリック系の宗教法人である。日本では暁星学園(東京)、 海星学園 (長崎)など学校教育を通して布教を進めている。 そのマリア会の日本管区長、吉村新一郎神父(六〇) が、年度末巡回に訪れた札幌市の光星学園内の修道院前で、腹から血を流して倒れているのを発見されたのは三月七日のことだった。「三階の図書室の窓が開いていて修道院の外壁には神父の血が付着していた。修道院には部外者の立入りが禁じられているので、内部の者(による犯行)ではないかと思い、関係者に集まってもらったが、 高二の担当をしていた中村勝彦修道士(六三)の姿がなかった。 修道士は内側から鍵を掛けた二階の居室で、刃渡り二十センチの柳刃包丁を腹に刺したまま、仰向けに倒れていた (捜査関係者)。 犯行時刻は午後一時頃と推定されているが、神父と修道士は、その二時間前に図書室で話しているのを別の職員に目撃されている。「二人のやりとりは、かなり剣呑な調子のものだったそうです。 自殺した修道士の部屋からは人事異動への 不満を記した五通のメモが見つかっていて、〝(東京への) 異動は嫌だ〟〝神父は人間として許せない〟〝私はしてはならないことをしてしまった〟などと書かれていた」(地元記者)

一億円の賠償請求 

「神父と修道士は、四十年来の知己だったのです」と言うのは、マリア会本部(東京・千代田区)の神父である。「おふた方とも敬虔なカトリックの家庭に育った方で上智大学の同窓生です。 不仲説などは耳にしたことございません。熱心な教育者でもあった中村修道士だけに、一体何が彼を錯乱させたのか私どもには知る由もありません。事件後、吉村神父のお母様から電話を戴き〝二人はともに天国に召されたのですね〟 と言われたのが唯一の慰めです」 が、別の見方をしているマリア会関係者もいる。「神父と修道士はもともとうまくいっていなかった。 中村修道士は大学時代から吉村神父の先輩格で、 海星学園時代にも指導的な立場 にあったが、七年前に吉村神父が管区長に選出されて立場が逆転した。神父は東京の修道院への異動をかなり強く迫っていたが、修道士はこれを事実上の引退勧告と取ったのではないか」 実際、吉村神父は相当に強引な人だったようだ。現在、大いに紛糾しているのがマリア会が経営するセント・ジョセフ・インターナショナル・スクール (横浜市) の廃校問題である。「亡くなった人の悪口は言いたくないが、吉村さんのやり方はひどかった」と言うのは、先月吉村神父らに一億円強の損害賠償請求訴訟を起した八十八人の原告団の一人である。「理事会が廃校の方針を打ち出したのは二年前、吉村神父が理事長に就任した直後です。慌てて仮処分申請をし、昨年九月には最年少児が十八歳になるまで、向う十四年間は存続させる、ということで和解が成立 したのですが、学校側はその後も父兄のもとにアメリカの学校に転校させたらどうかなどの手紙を送り続けた。完全な違約です」 父兄が説明を求めに出向くと、あろうことか学校側は警察を呼んだという。 「実はマリア会はバブル期にロンドン郊外に学校を造っているんです。この時、資金集めに奔走したのが当時、副管区長だった吉村さんで数十億円の資金を集めたそうですが、この学校がまた赤字で・・・・。 横浜の廃校話も、その穴埋めではないかと言われているんです」(先のマリア会関係者)

果たして、たとえどのようなことが起ころうとも、全力を尽くして組織を守ろうとするのが宗教というものである、ということのようです。

しかし、この事件は、格下の上役からのハラスメントに耐えかねた下役の男が、その上役を刺殺してしまったのだ、ということに過ぎません。被害者の上役である神父もまた犯罪者めいています。それでも、母親をして〝二人はともに天国に召されたのですね〟と言わしめるのが宗教の麻薬性であり、少なくとも一人は殺人犯で、告解を行わずに自ずから絶命した大罪人であるのに、そのものを含めた「二人の故人」のためにレクイエムミサを実施して、それらの魂の安寧を神に願うことが宗教の詭弁性であると思います。