キリスト教の問題点について考える

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伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

「アーメン」の正しい使い方

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聖典​中​の​場所​の​写真​ ゲリジム山​と​エバル山​

 

過去の記事

で、「不思議なキリスト教」という著作を叩く、日本ハリストス正教会の神父が運営しているブログがあることを紹介しましたが、今回は

大澤「祈りの最後に「アーメン」という言葉をつける場合が多いですね。これはどういう意味ですか?」橋爪「(引用前略)「その通り、異議なし」という意味です。新左翼が集会で「~するぞー」「異議ナシッ!」とやっているけど、あれと同じです。」

 という記述に対する、神父の感想を見てみましょう。

神父の意見としては、

まず単純に過ぎる。少なくとも「かくあらんことを(そうありますように)」を外しては、数多くの祈願の祈祷文の最後に唱えられる場合の意味が丸きり解らなくなるだろう(こうして橋爪氏と大澤氏による解釈は、「大枠では解り易い」どころか、却って「大枠の理解の妨げ」となるのである)
「その通り」というのは語義のごく一部でしかないのである。
なお、八木谷涼子『なんでもわかるキリスト教大事典』(352頁、朝日文庫)には、アーメンの意味として「真実に」「確かに」「同意します」「そうなりますように」を記しており、橋爪、大澤よりも正確かつ簡潔である。

とあります。

さあ、「アーメン」を説明するぞ、揚げ足取ってやるぞ、という意気込みは素晴らしいのですが、残念ながらどちらのご意見も今ひとつです。聖書を読んでみましょう。

申命記 27:9-26

またモーセとレビびとたる祭司たちとは、イスラエルのすべての人々に言った、「イスラエルよ、静かに聞きなさい。あなたは、きょう、あなたの神、主の民となった。それゆえ、あなたの神、主の声に聞き従い、わたしが、きょう、命じる戒めと定めとを行わなければならない」。
その日またモーセは民に命じて言った、「あなたがたがヨルダンを渡った時、次の人たちはゲリジム山に立って民を祝福しなければならない。すなわちシメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ヨセフおよびベニヤミン。また次の人たちはエバル山に立ってのろわなければならない。すなわちルベン、ガド、アセル、ゼブルン、ダンおよびナフタリ。そしてレビびとは大声でイスラエルのすべての人々に告げて言わなければならない。
『工人の手の作である刻んだ像、または鋳た像は、主が憎まれるものであるから、それを造って、ひそかに安置する者はのろわれる』。民は、みな答えてアァメンと言わなければならない。
『父や母を軽んずる者はのろわれる』。民はみなアァメンと言わなければならない。
『隣人との土地の境を移す者はのろわれる』。民はみなアァメンと言わなければならない。
『盲人を道に迷わす者はのろわれる』。民はみなアァメンと言わなければならない。
『寄留の他国人や孤児、寡婦のさばきを曲げる者はのろわれる』。民はみなアァメンと言わなければならない。
『父の妻を犯す者は、父を恥ずかしめるのであるからのろわれる』。民はみなアァメンと言わなければならない。
『すべて獣を犯す者はのろわれる』。民はみなアァメンと言わなければならない。
『父の娘、または母の娘である自分の姉妹を犯す者はのろわれる』。民はみなアァメンと言わなければならない。
『妻の母を犯す者はのろわれる』。民はみなアァメンと言わなければならない。
『ひそかに隣人を撃ち殺す者はのろわれる』。民はみなアァメンと言わなければならない。
『まいないを取って罪なき者を殺す者はのろわれる』。民はみなアァメンと言わなければならない。
『この律法の言葉を守り行わない者はのろわれる』。民はみなアァメンと言わなければならない。

これを読むと、「アーメン」は、強制的に言わされる「合意宣誓文言」であったことがわかります。しかも「同意しなければ罰則がありますよ」という意味合いを含んでいることが明白です。これが「アーメン」の本来の意味であるわけです。

誓約書に署名捺印するかのような、従順の姿勢を表白するための「呪文」のようなものであったのだ、ということなのです。宗教的ではなくて実務的な符牒です。

「お前、今「アーメン」と言ったよな、俺は聞いたぞ。神も聞いてるぞ。もう取り消せないからな。いいな。」ということですね。

橋爪氏は

「「その通り、異議なし」という意味です。新左翼が集会で「~するぞー」「異議ナシッ!」とやっているけど、あれと同じです。」 

と言っているようですが、正解ではないとしても、まだ近いかも知れません。日本ハリストス正教会の神父は「八木谷涼子」という人の著作を例に挙げて反論しているようですが、どういう根拠でそれが正しいと思ったのでしょうか。「不思議な神父」ですよね(笑)。