キリスト教大辞典

キリスト教大辞典

キリスト教の問題点について考える

牧師の適性

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「牧師に躓いた」よく聞きますよね。牧師の言動に嫌気がさして教会へ行きたくなくなったのだ、というわけです。

 

「広島アライアンス教会」の、「キリスト教Q&A Q9:牧師につまづいた」から引用してみましょう。

私も牧師の1人として、耳の痛い話です。建前から言えば、人を見るな、主を見上げて、ということになるでしょう。牧師も人間です。いろいろなことがあるでしょう。そこが魅力でもあり、つまずきにもなるのですね。そんな牧師をも神さまは赦して用いておられる、この点へ目を向けることができれば文句はでないのですが・・・。

「牧師も人間」と言っていてはだめでしょうね。牧師は人間であってはならないのです。牧師は人間を漁る漁師です。人間より高い存在でなければ人間を漁ることはできません。少なくとも、福音書でイエス様が、こうしなさい、と指導していることはすべて実践している必要があります。すべての持ち物を貧しい者に分け与えたか、七の七〇倍まで人を赦しているか、それが出来ないのであれば、その人は牧師になるべきではなかった、ということです。

もし他教会へ行くとしたら電話ででもよいですから、「当分休んで、他の教会へ行きます」と連絡してください。あなたが嫌っていても、牧師のほうはあなたのために祈っているのですから。

牧師が祈りに条件を付けてどうしようというのでしょうかね。馬鹿馬鹿しいにも程があります。その信徒が教会を去ったのは牧師に牧師たる資格が不足していたからでしょう。たとえ違ってもそうだと思いなさい。それに、その物言いは、こちらには非がないんだから、こちらの気分を悪くしないように、きちんと気を遣ってくれ、と言っていることにしかなりませんが、気はたしかでしょうか。

心理学的なことはさておいて、信仰上のカウンセリングを受ける必要があるでしょう。小さなグループに参加して、もう一度初歩から、信仰のイロハから学びなおしてください。

僕は、これほどの悪文を他で見たことはありません。信徒が牧師に躓いて教会を去ったというのであれば、それは100%牧師に非があります。牧師は、どこにでもいるただの人間ではダメです。しかし、ただの人間であってさえ、こんなに低劣な文章を書いて、発表することはないでしょう。世の中には「恥」というものが存在するからです。

逃げていくカモに罵声を浴びせているだけではないでしょうか。とても正気の沙汰とは思えません。

牧師には人間的な難しい欠点があるかもしれません。しかしそれでも神さまは用いておられ、また用いていただかなければならないのですから。 

そういう考えをする人がいるから、牧師による性犯罪が無くならないのでしょうね。

 

牧師になりたければ、まず、一般社会で働いて、自分の家族が食うに困らない経済基盤を据えて下さい。そうすれば、信徒の献金を当てにせずに牧師としての仕事に専念することができるわけです。信徒から金を恵んでもらいながら、牧師だなどといえますか?言えませんよね。それでは乞食です。

使徒行録28:30-31 によれば、パウロは、

自分の借りた家に満二年のあいだ住んで、たずねて来る人々をみな迎え入れ、はばからず、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えつづけた。

とあります。自分の財力だけで教会を運営し、訪問者を受け入れた、つまり、食事を与え、希望すれば寝床も貸し与えた、ということでしょう。これが「宣教」です。経済的にも自立していたから、「はばからず、また妨げられることもなく」と記録されているわけです。

使徒行録28:23 によれば、意見が合わないときには、

朝から晩まで、パウロは語り続け、神の国のことをあかしし、またモーセの律法や預言者の書を引いて、イエスについて彼らの説得につとめた。

とあります。「もう一度初歩から、信仰のイロハから学びなおしてください。」などとふざけたようなことは言っていません。

この悪文は故人が著したものだと説明されていますが、これを教会の是としてはりつけている、この教会のセンスはこの悪文の通りなのでしょうね。こんなところへ居ついてしまう人間もいるかと思うと、たしかに躓くほうもどうかとは思います。躓く前に気づけよ、ということでしょうかね(笑)。