前記事に続いて、今回もはてなブックマークに投入されたコメントについての話題です。引用しましょう。
仏教と障碍者差別 つい数十年前まで仏教では障害者に生まれるのは前世でわるいことをしたからだとはっきりいっていたよ これについてどうおもう?
初めて聞きました。そんな差別的な事をいう宗教はいずれ淘汰されてしまうのではないかと思いますよ。「つい数十年前まで」とか「たくさんの人が」、「有名な話」なんていうのは嘘、でまかせの類に使われがちな修飾語句だと思いますよ。違いますか。
そもそもどこで聞いたことなのでしょうか。おそらく思い込みの強い不勉強な牧師からの受け売りなのでしょう。いまから何十年経ったとしても、「つい数十年前まで」と言ってバカが伝播されていくのだろうと思います。他の宗教を貶し踏みつける事によってしか自らの価値を見出すことができない、キリスト教というのはそういうみすぼらしい者の集まりなのです。
反論することさえバカバカしい、ただの誹謗中傷であることは明らかなのですが、幸いYahoo知恵袋によく似たQAがありましたので、問の内容と、答えからいくつかを選択して引用しておきましょう。
ID非公開さん
仏教では障害者に生まれたのは前世の悪行の因果応報の結果、自業自得と説きます。それならば、植松聖がしたことは障害者をカルマから解放させた善行であり、功徳を積んだことになりませんか?
これが問の内容です。植松聖がしたこと、というのは、2016年に起こった相模原障害者施設殺傷事件のことであろうと思われます。この問いに対して寄せられた回答のなかからいくつかを選んで引用しておきます。
そういうの、やめませんか?
悪意が無いだけにタチが悪い。親に散々殴る蹴るされて育った子供だった人に、そういう事を言えますか?
仏教にはそんな考え方は元々ありませんでした。仏教のいうカルマは、原因に対する結果と言う一連の流れの事です。
悪い事をすれば悪い結果を招く。
良い事をすれば良い結果を招く。
と言う事です。
これを縁起、因縁と言います。
盗みを働いてばかりいたから、周りから物を盗まれるかもしれないと関わりを避けられて孤立した。
こういうのを因縁と言います。前世や来世を持ち込むのはオカルトです。
もし、前世の行いが来世に影響するなら、生まれて直ぐに病死したり虐待死してしまう子供は、前世の悪行の懺悔の機会すら与えられないことになります。考えれば分かりそうなものですけどね。
「障害者に生まれたのは前世の悪行の因果応報の結果」
それ...
少なくとも仏教宗派全体の考えではありませんよ。
そう考える仏教宗派があるのか無いのかは知りませんが、少なくとも仏教全体の話と考えるのは大きな間違いですよ。
こんばんは!
なっちゃんです!因果応報というのは、お経には一回しか出てこないので仏教用語だという確定はできません。少なくとも、「自分がしたことが返ってくる」「バカと言ったら、バカと言われた」というような思想は仏教的ではありません。これは、昔流行ったニューエイジ的な思想です。
悪行を為せば苦の境地になり、善行を為せば楽の境地になるという思想は仏教にもあります。悪因苦果・善因楽果といいます。自分の行為(業)の結果は自分が得ますから自業自得です。
現在の状態を観て、そのことを悪因の結果だと観ることはできません。衆因(いろんな因縁)によって結果が起こるからです。結果から観れば、因は一つではなく多であり、原因から観れば、結果は一つではありません。因果は複雑に絡み合っていますので単純に観ることはできません。しかも、過去も未来も明確に覚知できませんので、普通の人が人の因縁・因果を観ることはできません。人の現象を観て、自業自得だなどと決めつけることはできません。
ありがとうございました!
”障碍者を悪いカルマの結果でそうなった”と考えることが【悪】であり、【悪いカルマ】を積むことです。
障害者には善悪はありません
善悪は人の心が作り出すものですから
悪というのは貪欲、怒り、愚かさのことです
この3つの三毒から解脱しないかぎり
永遠に地獄をさまよいます