キリスト教の問題点について考える

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伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

キング牧師の不都合な真実

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www.nobelprize.org

 

舘崎正二氏のブログに「キング牧師の不都合な真実」という記事がありますので一部ご紹介しましょう。『新潮45』2015年2月号で作家に掲載された井上篤夫による同名の記事の紹介であるようです。

 

1962年、FBIのフーヴァー長官は、ロバート・ケネディ司法長官から、キングの盗聴許可をとりつけた。
以降、キングの私的な生活はすべて把握されていく。
キングは自由への行進の演説をしたその晩、若い女の子を集めて乱交パーティをしていた。
これは1964年に収録されたケネディ大統領夫人のジャクリーンの発言で、2011年になって公開された。
ジャクリーンはキング牧師を「ペテン師」「セックス中毒」「最低の男」「バカ」とまで言っている。
ケネディ大統領が暗殺された葬儀の日もキングは盗聴されている。
キングは酔っぱらってTVで葬儀を見ながら嘲笑い、ジャクリーンがケネディの棺に接吻するのを見ながら、「本当はアソコにキスしたいんじゃないか」と発言している。
1964年、キング牧師ノーベル平和賞を授与されると報じられると、フーヴァー長官は緊急記者会見を開き、「キングはアメリカきってのウソつき野郎だ」と、何としても受賞を阻止しようとした。
同年12月10日、キングはノーベル賞授賞式の晴れの舞台に立つ。
その祝賀パーティが開かれたホテルにもFBIの盗聴器はしかけられ、乱交ぶりが記録された。
パーティ会場には高級娼婦が参加していた。また、キングは別のホテルで白人女を買ったともいう。

 

なんとも酷い男ですね。昔の聖人とかもこんな感じなんでしょうか。

 

日本キリスト教団

日本キリスト教団は、プロテスタント教会の組合のようなものです。色々な教会が参加しています。

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www.ch-fukuinkan.com

 

その中で、なかなかユニークな教会がありますのでご紹介しましょう。京都府長岡京市の「チャペル福音館」です。

 

「チャペル福音館の礼拝とは」から引用しておきましょう

聖餐式を中心とする礼拝は典礼重視なので、カトリック聖公会のような形態をとります。
 式文は日本基督(キリスト)教団、カトリック聖公会の式文、
 さらにリマ式文から牧師の神学的解釈を加えたチャペル福音館独自の式文を使い、
 式文に則って礼拝をします。
 香炉も振り、常に礼拝堂は香の香りに包まれています。
 カンパヌラ(小鐘)も鳴らします。
 牧師はカトリック聖公会の祭服も着ます。
 これらの祭服の大半はカトリック典礼センターピエタのシスター達が、
 一針一針真心を込めて廣畑牧師の為に作成して下さったものです。
 これは目に見える福音です。
 そして礼拝では、説教で聞いたみ言葉ついて黙想する時を必ず持ちます。
 これは非常にプロテスタント的で、ルターの精神にも則っています。
 黙想会を中心とする礼拝は静かな流れの中で神と向かい合う、祈りを中心とした礼拝です。
 使徒信条、主の祈はもちろん、
 カトリックのように天使祝詞(聖母マリアへの祈り)も祈ります。

 そしてここでもまた、聖書の解き明かしを聞いて、
 分かち合うというプロテスタントの讃美歌も使いますが、
 カトリックの讃美歌(典礼聖歌など)も使います。

 これらは決してカトリックの真似事ではなく、廣畑牧師が苦しみと悲しみの中で到達した信仰、
 それが典礼を大切にすると言う信仰であったからです。
 つまり、典礼を重視する信仰に救われたのです。

 カトリックに対する深い憧れと尊敬を持つ廣畑牧師ですが、
 (カトリックも100%ではなく、まだまだ改革されなければならないであろうことも、
  十分承知しております)
 同時にルターの改革者としての精神をこよなく愛し、尊敬しているのです。
 元来カトリックの伝統は決して福音から逸脱するものではないどころか、
 福音そのものから来ているものでもあり、深い信仰を持った修道者であった宗教改革者 ルターの、
 「聖書のみ、信仰のみ」の精神と全く対立するものではないと確信しているからです。
 むしろ、典礼は霊性を高めてくれるものなのです。

 そして今の教会に必要なもの、それはカトリックの伝統から培った深い信仰と、
 ルターの真の改革者としての精神なのであり、
 それこそが今の停滞した教会を刷新してくれ、生きたものとしてくれると信じているからなのです。
 それをまさに実践しているのが、チャペル福音館の礼拝です。

 典礼を大事にされる教職・聖職【日本基督(キリスト)教団、日本福音ルーテル教会カトリック聖公会
 の方々とのつながりがあり、
 典礼を通して教派を越えた一致を目指しているのです。

 従ってチャペル福音館は、非常にカトリック的でもあり、プロテスタント的でもある。
 また、カトリックでもなく、プロテスタントでもない。
 つまり、枠を取っ払ったユニークな礼拝ですが、
 これはキリスト教の原点、純粋そのもののような礼拝作りをしているという事であり、
 現代のカトリックが説教の重要性を見直し、
 プロテスタント教会典礼(礼典)の重要性を見直している、
 現代の教会の流れにまさに合致したものなのです。

 

色々な教会があって面白いですね。

自殺

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Le Suicidé(エドゥアール・マネ、1877–1881年)

 

Wikiの「自殺」から「キリスト教」の項を引用します。

 

キリスト教においては基本的に、自殺は重大な罪だとされるが、キリスト教で自殺に対する否定的道徳評価が始まったのは、4世紀の聖アウグスティヌスの時代とされる。当時は殉教者が多数にのぼり、信者の死を止めるために何らかの手を打たねばならなくなっていた。また10人に1人死ぬ者を定めるという「デシメーション」と呼ばれる習慣のあったことをアウグスティヌスは問題にした。アウグスティヌスは『神の国』第1巻第16-28章において、自殺を肯定しない見解、自殺を罪と見なす見解を示した。神に身を捧げた女性が捕虜となって囚われの間に恥辱を被ったとしても、この恥辱を理由に自殺してはいけない、とした。またキリスト教徒には自殺の権利は認められていない、と述べた。「自らの命を奪う自殺者というのは、一人の人間を殺したことになる」とし、また旧約聖書モーゼの十戒に「汝、殺すなかれ」と書かれている、と指摘し[115]、自殺という行為は結局、神に背く罪だ、とした。アウグスティヌスは「真に気高い心はあらゆる苦しみに耐えるものである。苦しみからの逃避は弱さを認めること」「自殺者は極悪人として死ぬ。なぜなら自殺者は、誘惑の恐怖ばかりか、罪の赦しの可能性からも逃げてしまうからだ」と理由を述べた。
693年には第十六回トレド会議(英語版)において自殺者を破門するという宣言がなされ、のちに聖トマス・アクィナスが自殺を生と死を司る神の権限を侵す罪であると述べるに至って、すでに広まっていた罪の観念はほぼ動かしがたいものになり[116]、自殺者の遺族が処罰されていた時代[117][118]や、自殺者は教会の墓地に埋葬することも許されなかった時代もある。
ダンテの叙事詩神曲』においては、自殺は「自己に対する暴力」とされており、地獄篇の第13歌には醜悪な樹木と化した自殺者が怪鳥ハルピュイアに葉を啄ばまれ苦しむという記述がある。
ドイツの哲学者ショーペンハウエルは『自殺について』のなかで、キリスト教の聖書の中に自殺を禁止している文言はなく、原理主義的にいえば、自殺を禁じているわけではないため、「不当に貶められた自殺者の名誉を回復するべきだ」とした。

 

この説明によれば、聖書中の文言で、直接自殺を禁じているわけではなさそうです。むしろ原初的習慣に「デシメーション」なるものがあって、自殺することは殉教のように美徳であったことをうかがい知ることができます。

 

アウグスティヌストマス・アキナスが口を挟まなければ、本来通り、自殺は美徳であったわけです。このように、現状のキリスト教はオリジナルに不忠実なのです。

右の頬と左の頬

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emija.hatenablog.com

 

マタイによる福音書 第五章38-42節に次のような言葉があります。

 

『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。
もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。求める者には与え、借りようとする者を断るな。

 

 この「もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。」ということばについて、「REGINA PACIS」というサイトでは次のように解説しています。

 

今日の福音の一節、「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい。(マタイ5:39)」は、とても誤解されている部分だと思います。多くの人にとっては、いや、クリスチャンにとってさえ、ガンジーのような無抵抗主義のことだと思われがちなのでは?


しかし、古代教会の偉大な教父のひとりであるアウグスティヌスは、「右の頬」は「天的or霊的な善いもの」、「左の頬」は「地上的or肉体的な善いもの」のことであり、「右の頬を守るために、左の頬を向けなさい」と説いています。言い換えれば、「この世的・肉的な善いものを犠牲にしても、天的・霊的な善いものを守りなさい」ということです。


これは、「右」や「左」がユダヤ文化で象徴すること、また、この一節があるマタイ5章全体を見ても、合致が行きます。


まず、ユダヤにおいて、「右」は「善いもの、力あるもの、優れたもの」、「左」は「悪しきもの、弱いもの、劣ったもの」を象徴しました。聖書の他の箇所を見ても、そのことは分かります。(創世記48:14やマタイ25:31-33等)


そして、マタイ5章全体を見ると、この章の一貫したテーマは、「天に入るための道」です。39節の前にも、5章の中では「救いへの道vs滅びへの道」対比が数多く書かれています。その文脈から言うと、まさにこの39節のポイントは、「この世的なことは犠牲にしてでも、あなたの救いにとってもっと重要な天的なことを守りなさい」ということであって、無抵抗主義を教えているのではありません。


聖書は、ある一部分だけを抜き出して都合よく引用してはダメ。全体的な文脈の中で解釈しなくては、間違った解釈になってしまいます。

 

 この説明によれば、聖書に「もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。」と記述されていれば「この世的なことは犠牲にしてでも、あなたの救いにとってもっと重要な天的なことを守りなさい」と変換して理解しなくてはならない、ということになるわけですが、それならば「下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。」はどう変換すればいいのでしょうか。また「求める者には与え、借りようとする者を断るな。」というまとめにはどうつながるのでしょうか。

 

福音書がそんな暗喩で満たされているのなら、普通文に訳された「解訳版」が出回っているはずだとおもうのですが、そういうものは見たことがありませんね。

 

まあそういう箇所が全く無いとはいいませんが、たとえば黙示録なんかは確かに暗喩が沢山あります。しかし、この箇所はそのままの意味でしょう。ガンジーのような無抵抗主義を奨励しているのです。

 

しかし「聖書は、ある一部分だけを抜き出して都合よく引用してはダメ。全体的な文脈の中で解釈しなくては、間違った解釈になってしまいます。」と言いたくなる気持ちはわかります。そうとでも言っておかなければ、福音書には実行不可能な指示が沢山ありますからね(笑)。

予定説

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ジャン・カルヴァン - Wikipedia

 

Wiki予定説では、予定説について次のように説明されています。

予定説(よていせつ)は、聖書からジャン・カルヴァンによって提唱されたキリスト教の神学思想。カルヴァンによれば、神の救済にあずかる者と滅びに至る者が予め決められているとする(二重予定説)。神学的にはより広い聖定論に含まれ、その中の個人の救済に関わる事柄を指す。全的堕落と共にカルヴァン主義の根幹を成す。

 

しかし、それは納得の行かない説明です。予定説に否定的なのではありません。あまりにも当たり前過ぎると感じるからです。「神は全知」だというのですから、神は何もかも知っていて当たり前だと思います。

 

時間も神による被造物であるはずです。そして全ての被造物は時間に制約されていますが、神は時間に制約されません。「この世の終わり」も神の創造物であって、世のはじめから終わりに至るまでの全てを既に知っているはずです。神自身が創造したのですから。人間が人生の途上において何を選択するか知らないのであれば、神は創造の業を成し終えることが出来ないはずです。

 

しかし、正直にそう言ってしまうと、教会の必要性が失われてしまいます。人は、教会に罪を懺悔し、教会の取りなしがなければ死後天国へ行く事ができない。教会は人間にとって必要欠くべからざるものである、と言わなけれはならないわけです。初めから決まっていてだれがどうしようが何も変わらない、という真実は隠蔽するしか無い、ということになるわけです。

感謝祭

「感謝祭」って時々耳にしますが、誰が何に「感謝」する祭りなんでしょうか。

 

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文化がわかれば英語もわかる!サンクスギビング・デーに関する英語表現まとめ

 

Wikiの「感謝祭」から「感謝祭の由来」を引用します。

感謝祭は、イギリスからマサチューセッツ州プリマス植民地に移住したピルグリム・ファーザーズの最初の収穫を記念する行事であると一般的に信じられている

 

次に、同じ感謝祭」から「アメリカ合衆国における感謝祭の起源説」を引用しましょう。

現在の感謝祭の起源として一般に信じられているのは、イギリスから現在のマサチューセッツ州プリマスに宗教的自由を求めて移住して来たピルグリムと呼ばれる入植者の一団が、本国から持ってきた種子などで農耕を始めたところ、現地の土壌に合わず飢饉による餓死者まで出したところ、アメリカ先住民の助けにより危機を脱したので、その感謝を表す目的で1621年に先住民を招いて収穫を祝う宴会を開いたことである。現場にいたウイリアム・ブラッドフォードやエドワード・ウインスローらの私記によれば、宴会は3日間続き、入植者53人と先住民90人が参加したとある。1623年7月30日には、最初の正式な感謝祭が開かれた。

 

それでは、「教会は最大の犯罪組織」というサイトから「アメリカの征服」という項を引用します。

コロンブスの発見の50年後すでに、カトリック教徒のスペイン人は百万人のインディオ達を殺害したり、拷問や強制労働で虐待したり、レープ等で梅毒や他の伝染病をうつして死に至らしめました。

発見から150年後にはアメリカ全体で1億人先住民が死に絶え、ドイツのSuedwestpresse (1992・5・2)によるとそれは征服地域の人口の90%以上に当るとのことです。アメリカの征服とは、史上最大の人種抹殺でした。 大勢の民族と民族文化が永遠に滅ぼされました。それに比べ、ヒトラーは何と腑甲斐ない職人だったことでしょう。

キリスト教徒のインディオ殺しは残酷で、例えばインディオを13人ずづ絞首台にかけ下からは小さい火を燃やし、絞め殺すと同時に焼き殺したのです。何故13人ずつかと言うと、救い主のイエスキリストと12使徒の名誉のためでした。また、インディオの子供の頭を岩や木に投げつけ、生きたまま犬の餌にしました。こういた「立派な」行為を熱心に書き留め、その記録をスペイン宮廷に送りました。当時、後に司教となるラスカサス僧(LasCasas)を除き、司祭等のカトリック聖職者は特にインディオという悪魔の子孫を絶滅させたかったのです。現在カトリク教会は「当時人々はやり過ぎた。残念ながら教会はインディオ達を守れなかった」と事実を捻じ曲げています。そして教会は当時カトリックの聖職者から一線を画していたラスカサス司教のインディオスに対しての同情を引用するのです。しかし、ラスカサス司教は真にヒューマニストだったのでしょうか。彼は衰弱したインディオ達が鞭と強制労働で数多く死ぬのを見た時、どんな人道的な解決法を見出したでしょうか。そうです。このラスカサス司教、残酷な時代にありながらキリスト教の愛を満たしたインディオの救い主であったとしてカトリックの広告塔として利用されているこの人物こそ、アフリカの黒人を奴隷として働かせればインディオが救われると考え、新しい悲劇となるところの奴隷栽培を創始した、その張本人なのです。しかし、インディオ達もそれによって救われることはなく、殺戮され続けました。

ハツアイ(Hatuay) と言うインディオ族長は、火あぶりになる前に宣教師から「洗礼を受ければ天国に行けます。洗礼をしますか。」と聞かれた時 、天国にはキリスト教信者がいるのかと質問しました。「勿論」と宣教師が答えると、「じゃ、結構です。そんな残酷な人と一緒になりたくない。仲間のいる地獄の方がいい。」と断りました。(ドイツ新聞taz,1987・2・21からの引用)
ハツアイ族長の様な反応から、当時のクリスチャンはインディオ達が無知の悪魔族だと確信しました。今もなお、クリスチャンは自分達は他人より偉いと思い込んだまま、この世を移動し、宣教活動にあったているのです。

 最後に、再び Wikiの「感謝祭」から「インディアンにとっての感謝祭」を引用しましょう。

一方、インディアン達は「感謝祭」は、この日を境に先祖達の知識や土地がヨーロッパからの移民達に奪われた、「大量虐殺の始まりの日」としている。
1969年のアルカトラズ島占拠事件では、これに賛同したインディアンたちは「感謝祭の日」に合わせて数百人がアルカトラズ島に上陸した。
ワンパノアグ族を中心に、ニューイングランドのインディアン部族が結成する「ニューイングランド・アメリカインディアン連合」は、「ピルグリムファーザーズ」のこの「感謝祭」にぶつけて同じ日に、「全米哀悼の日 (en)」としてデモ抗議を毎年行い、喪服を着て虐殺された先祖達に祈りを捧げている。
また、感謝祭の翌日の金曜日は「アメリカインディアン遺産記念日」(American Indian Heritage Day)として、合衆国におけるアメリカ先住民の位置を認識し高めるための祝祭行事を行い、かれらの伝統文化や言語の遺産を再認識するための日になっている。

 

 

洗礼

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キリストに洗礼を施す洗礼者ヨハネ

 

マルコによる福音書 第1章第2-11節

預言者イザヤの書に、「見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの道を整えさせるであろう。荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と書いてあるように、バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた。そこで、ユダヤ全土とエルサレムの全住民とが、彼のもとにぞくぞくと出て行って、自分の罪を告白し、ヨルダン川ヨハネからバプテスマを受けた。このヨハネは、らくだの毛ごろもを身にまとい、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。彼は宣べ伝えて言った、「わたしよりも力のあるかたが、あとからおいでになる。わたしはかがんで、そのくつのひもを解く値うちもない。わたしは水におまえたちの身を沈めたが、そのかたは、聖霊に身を沈めてくださる」。そのころ、イエスはガリラヤのナザレから出てきて、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。そして、水の中から上がられるとすぐ、天が裂けて、聖霊がはとのように自分に下って来るのを、ごらんになった。ると天から声があった、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。

 

Wikiの「洗礼」の項には洗礼者ヨハネについて、

洗礼者ヨハネ以外にも、西方ミトラ教やマンダ教、エルカサイ派などの「洗礼教団」が中東地域に存在し、洗礼の儀式を行っていた。 

 

と説明されています。

洗礼者ヨハネユダヤ教徒ではあったのかもしれませんが、流行りの宗教が行う儀式の真似事をして大衆に迎合していたミーハーだったのです。そしてイエスもそれを受け入れたと記されています。

新約聖書を注意深く読むことにより、キリスト教が実際にはユダヤ教の進展では無く、当時流行していた様々な宗教が混成されてできたいびつな新興宗教だったのだということを知ることができます。