キリスト教の問題点について考える

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対立教皇

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「対立教皇」という言葉をご存知でしょうか。対立教皇 - Wikipedia によれば、

対立教皇(たいりつきょうこう、AntipapaAntipope)は、キリスト教歴史において、正当な教皇に対抗してたてられた教皇のこと、あるいはローマ教皇であることを宣言しながらも、同時代人あるいは後世の人からその地位が正統なものであると認められなかった人々のこと。

通常、対立教皇というのは教皇選挙者たち(中世以降は枢機卿団)によって、ある人物が教皇に選ばれたあとでそれに反対する人々によって立てられることが多い。一般的に対立教皇ということばは古代から中世にかけての歴史用語であるが、近代以降であっても教皇空位主義者(後述)などで教皇を自称する人々を広義での対立教皇と呼ぶこともある。

とあり、正式に立てられた教皇を、教皇と認めたくない人たちが、別の人物を教皇として擁立した場合などを言うようです。

また、神聖ローマ帝国と教会との関係において、政治的な動機によっても対立教皇が出現した、と説明されています。

いずれにせよ、おおよそは近世以前の話であって、現代社会とは無縁のお話、と思われがちですが、現代、今まさに対立教皇は存在するようです。

en.wikipedia.org

聖使徒カトリックパルマリアン教会」(World Religions and Spirituality のページ)

という教会です。スペインにある教会のようですが、上記の説明によれば、教皇として認められる教皇は、パウロ教皇までの教皇であって、それ以降、ヨハネ・パウロⅠ以降の教皇教皇として認められない、として、独自の教皇を立てているようです。

動画がありましたのでご紹介しましょう。聖週間(復活祭前の一週間)を記録した映像のようです。

 

いかがでしょうか、教皇三重冠、教皇三重十字があしらわれた司教杖など、現在の典礼では使われなくなってしまっている古式が再現されていることがわかります。

しかし、なんといいますか、この何とも言えない違和感、ぎこちなさ、おもちゃ感というのか、心がこもってない、というか、いやいややっている、というか、偽物感であふれてますよね。やはり、本場サン・ピエトロの重厚感を再現することは無理のようです。

再び 対立教皇 - Wikipedia を読んでみましょう。

しかし、単純に対立教皇といっても、あくまでも後世の判断による部分が多く、同時代の人々はどちらが対立教皇でどちらが正当な教皇だとはっきり区別していたわけではない。彼らにとっては、当然自分たちが支持する人物こそが正当な教皇であり、支持していない人物は対立教皇であった。

彼らにとって、あくまで正当な教皇聖使徒カトリックパルマリアン教会の教皇であって、ローマ・カトリック教会教皇は偽の対立教皇でしかないのです。数の問題では無い、というわけです。

プロテスタント教会も同じことで、ひょっとするとカトリック教会のほうが正しいのではないか、とは考えません。どの教会であれ、他の教会が間違っていて、自分たちの教会だけが正しい、と考えているのです。

これを、穏健な立場にいる人たちは、神はそれぞれの人に合った信仰の形態をその人にお与えになっているのだ、と解釈するようですが、それは詭弁です。一神教の神は絶対的な存在であるはずです。洋の東西、老若男女を問わず、ただ一様でなければ理屈に合わないでしょう。

おわかりでしょうか。一神教の宗教は、一神教である、というその理由だけですでに破綻しているのです。