キリスト教大辞典

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キリスト教の問題点について考える

キリスト教の救いと仏教の救い その2

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前回記事「キリスト教の救いと仏教の救い」で、キリスト教には条件によっては救われない人がいること、仏教では条件に関わらず、すべての人に救われる可能性があることを説明しました。今回記事では、それぞれ、人はどういう理由で、何から、救われなければならないと言われているのかを考えてみましょう。

キリスト教に於いては、神によって世界が創造されたあと、だんだんに堕落してしまったので、イスラエル民族を選んで、律法を定めて、カナンの土地を与える約束を行い、リーダーとして世界を牽引するように命じました。これが「旧約」です。しかし、なかなかうまく行かないので、神自身がこの世に現れて、犠牲の動物の代わりに自らが死んで、全人類の罪を贖い、救いに至る条件を緩和して、再び神の世界に戻って行きました。これが「新約」です。

まとめますと、神の作った世界で、神の作った人間が、神の作った「悪」を行うため、神が怒るので、教会で洗礼を受け、反省したものだけが許されて、死後に、神の国へ迎えられる、ということです。神が、神の罰から人を救う。これがキリスト教の「救い」なのです。

仏教には「神」のような超越した存在はありません。人を救うのはお釈迦様でも阿弥陀様でも無く、人を「無明」の状態から「真如」へと導く、即ち救うものは「」であるとされています。その仕組みを見出した人がお釈迦様だった、ということですね。

まあ、どっちもよく似たようなもの、と言えばそう言えなくも無いでしょうが、マッチポンプ詐欺まがいのキリスト教の救いよりも、仏教の理屈のほうがマシに思えます。