キリスト教の問題点について考える

キリスト教の問題点について考える

伝統的教派プロテスタントの元信徒が運営するキリスト教批判ブログです

キリストに倣いて溺死する牧師

praisedc.com

上記は「praise104.1 fm」というキリスト教系FM局のサイトの「牧師は水の上を歩けると信じていたが、その後溺死した」という記事です。

似たような話が他にもありますが、

www.christianpost.com

 

上のサイトからgoogleによる邦訳文で引用しましょう。

水上を歩くのは簡単ではありません。その能力を持つ人はそう多くありません。まあ、イエスがいるし、まあ、それだけです。アフリカ西海岸の牧師にとって残念なことに、この不可能な偉業を現実のものにしようとした2人目の人物になろうとしたために命を落としました。フランク・カベレ牧師(35歳)は、会衆に、自分はイエス・キリストの奇跡を再現する能力があると言いました。彼は、ガボンの首都リーブルビルの海岸で実演して、その能力を明らかにしようと決めました。

マタイ伝 14:22-33 を引用して、カベレは、十分な信仰があればイエスが成し遂げたことを自分も成し遂げられるという啓示を受けたと語った。目撃者によると、カベレは信者たちを海岸に連れて行った。彼は信者たちに、通常はボートで 20 分かかるコンボ川の河口を歩いて渡ると言った。悲しいことに、2 歩目に水に浸かったとき、カベレは完全に水に浸かってしまった。彼は二度と戻って来なかった。

アフリカでこの種の事件が起きたのは今回が初めてではない。ナイジェリア南西部のイバドン動物園では、自称預言者が、ライオンのいる穴に歩いて入ることで、聖書のダニエルと同じことができると主張した。

NG Newspapersによると 預言者は動物園の飼育係から何度も警告を受けたにもかかわらず、彼らを進歩の敵としか考えていなかった。群衆が見守る中、預言者は長い赤いローブを着て、ライオンでいっぱいの檻の中に入った。ドアを開けて数秒のうちに、ライオンは預言者を肉から骨まで引き裂いた。

死者を冒涜するような言動は慎むべきだとしても、少なくとも賢明な行動であるとは思えません。

カトリックには「キリストに倣いて」という著作があり、これはプロテスタントからも高く評価されていて、キリスト教徒が聖書に次いで読むべき書物だと認識されているようです。

ご自身で翻訳し、発表されているサイトがありますので、引用させていただきましょう。

www.hyuki.com

最も大いなる知恵——それは この世をすべて捨て去り、天の御国を求めることです。 朽ち果てる富を求め、朽ち果てる富を頼みにするのは空しい。 賞賛を求め、驕り高ぶるのは空しい。 肉的な欲望を追い求めるのは空しい、 やがて来る時に厳しい罰を招く物事を望むのも空しい。 長く生きることばかりを求め、善く生きることを気にかけないのは空しい。 現在のみを気にかけ、やがてやって来ることを予見しないのは空しい。 あっというまに過ぎ去るものを愛し、 永遠の喜びがどこにあるのかを考えないのも空しい。

長く生きることばかりを求め、善く生きることを気にかけないのは空しい。 

全くそのとおりだと思います。実に美しい真実の示唆です。ですが、死ねと言っているわけではありません。生きることの尊さとそのより善いあり方を模索せよと言っているのです。

溺死した牧師が「キリストに倣いて」を読んでいたかどうかはわかりませんが、少なくとも福音書は読んだことがあったでしょう。福音書も、「キリストに倣いて」同様、生命の大切さ、生きることの素晴らしさを説く著作物だと思います。

ですが、それらを読んだ結果、死に直結する行動を取ってしまうのがキリスト教徒と呼ばれる人たちである、ということのようです。

エス様が湖を歩いた、という話についての過去記事もお読み下さい。

christian-unabridged-dict.hatenablog.com