キリスト教大辞典

キリスト教大辞典

キリスト教の問題点について考える

信仰を捨てても構わない理由

f:id:christian-unabridged-dict:20190328133342j:plain

newsphere.jp

 

キリスト教の教会へ足を踏み入れて、洗礼を受けてしまった人は、死ぬまで教会に通い、教会費を支払い続けなくてはならない。そのように考えている人が多いのではないかと思います。

教会に通うのが嫌になってきた、他の信者で嫌いな人がいる、教会の費用がだんだん高くなってきて困っている、などの理由で、もう教会へ行くことをやめてしまいたいのだけど、なかなかやめられない、そう考えている人は少なくないはずです。しかし、そのような人々が心にわだかまりを抱えながら、嫌々教会へ通い続けることは誠にお気の毒なことだと思います。ぜひこの記事をお読み頂いて、嫌になったなら教会へ通う必要は無いのだ、ということを理解してください。

疑問をもちつつも、相変わらず教会へ通い続けなくてはならない、と考える理由は、『神に嫌われる、罰せられる』という考え、これが一番でしょう。しかし、全くそんなことはありません。その理由を考えてみましょう。

まずは、理性的アプローチによって「神はいないから」と、考えてみましょう。

およそ2000年前に、『神は世を愛しているから」という理由で、神自身であり、我が子でもあるイエス様をこの世にお遣わしになって、世の罪を取り除いてすべての人を救われた、これがキリスト教の主張です。それまで、神を目で見ることはできませんでしたが、イエス様の出現により解禁となり、人間は神の存在を自分自身の感覚で知ることができるようになった、はずです。

しかし、結局、神は観念上の架空の存在のようで、実在を体感するこはありません。実際、神が存在しないからです。もし、キリスト教の主張が真実であるならば、現実世界の司法、行政、立法には聖書が欠かせないはずです。聖書によって学び、聖書に従って生活するため、聖書は行政によって無料で支給されているはずです。いかがでしょうか、キリスト教の主張を冷静に整理して考えるのであれば、現実世界はそのような結果がすでに展開済であるか、そのような結果に向かって展開されつつある状態でなければならないはずですが、実際にはそのような予兆さえありません。即ち、神は実在しないのです。

神が実在しない、とは考えにくい、という人がいるかもしれませんので、次に、神が実在しても、別に信仰しなくてもかまわない、ということを考えて見ましょう。

今までに、教会では、「神は完全、完璧である」と教えられたはずだと思います。神は人間のように怒らない。完全であるが故に神に怒りは無いのです。怒りは罪の現れだからです。

神はご自分の独り子をお遣わしになるほど、この世を愛された、また今も愛し続けておられます。神はこの世を、罪を含めて愛しておられるわけです。

人の親であれば、子が失敗したからと言って、その子を見捨てたり、怒りに任せて殺してしまったりはしませんよね。失敗を重ねなければ立派な人間になれないことを知っていますから、早く親離れをし、色々な失敗を重ねて良い社会人になれ、と願うでしょう。

まして神は「完全」な存在なのですから、「神よ神よ」と神ベッタリになっていつまでも親離れできず、上辺ばかりの儀式のために無駄な時間を費やしたり、自己満足のために苦労して手に入れた財産を溝にすてたりして、いつまでも生活の本質を理解できないままでいては、神の本意からは遠ざかるばかりだと言うことになるでしょう。神が実在するのであれば、なおさら、人が教会へ通ったり、信仰を表明したりするようなことを望んではいない、ということになるはずです。

おわかりいただけたでしょうか、神がいてもいなくても、教会へ通うこと、神を信仰することは「良くないこと」だということになるのです。

 

SNSでも時々は色々な発言をして様子を見たりしていますが、キリスト教徒を自称する人で、あ、この人の考えは立派だな、と感じたことは一度もありません。矛盾点を突いたりしたら大変なことになります。詭弁、暴言の嵐です。特に牧師や神父にそういうのがいます。

なんか、言っていることがおかしいな、と思い、できるだけ丁寧に食い下がって聞いてみると、「精神疾患だから仕方がない」と言います。実際、プロフィールにも説明していたりして、精神疾患の人は多いようです。精神の健康に問題があるような人はSNSなんてしないほうがいいのではないかと思うのですが、余計な心配なのでしょうか。

現実の教会にもそういう人がたくさん来会されます。われわれのような代々の信者の場合は、「家の宗教」とか「家系の文化」としか考えていませんから、牧師は墓守程度にしか扱いません。給料払って雇ってあげているからありがたく思え、とおもっているぐらいですから、多少変なことを口走ったとしても適当にあしらえるのですが、精神的に弱い人が一人でふらっと来られるのは危険だろうな、と感じています。だからと言ってあからさまにそうとも言えず、苦しいところではあります。

教会に通い続けることに疑問を感じられた場合は、ぜひこの記事に沿って考え方を整理してみてください。教会には通い続ける価値はありません。信仰を持ち続ける必要もありません。そんなものは無い方が、よほど有意義な人生を楽しむことができるはずです。