芸能人が自分の飼っていたペットを、ペットロスに苦しんでいる知人に譲ったことをSNSに書き込んだことで批判されているのだとか。少し引用してみましょう。
GACKTさんは、日ごろ、お世話になっているポーカーの師匠のために、一肌脱いで美談にしようと思って、YouTube動画を制作したのでしょう。ところが、世の中からは、「犬をモノとして扱っている」ように見えて炎上しました。
今の時代、ペットは家族の一員で、子犬は我が子として育てている方が多いため、今回の行動は理解が得られなかったのかもしれません。一般的には、犬や猫を一度、家族の一員にすれば、終身飼育が望ましいです。
この考え方には同調できないところがあります。別の芸能人がコロナ禍下で、自作の映画の集客を呼びかけた問題では、法律の範囲内で行っているのだから問題は無い、と言い切って擁護するのに、このペットの問題のどこがだめなのでしょうか。
を見てみましょう。
第一条 この法律は、動物の虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物の健康及び安全の保持等の動物の愛護に関する事項を定めて国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資するとともに、動物の管理に関する事項を定めて動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物の共生する社会の実現を図ることを目的とする。
とあって、この法律は人間のために定められたものであることがわかると思います。
「ペットはモノじゃない」といいますが、ペットは、結局のところモノでしかないのです。モノだからこそ、金を払って購入することができるのだし、芸や躾を仕込んで、コマンドに反応するように自分の型に嵌めて楽しんだりすることができるのだと思います。
そして今回の例のように、他の人がイレギュラーな(自分が勝手に決めたルールに反した)対応を示したりすると集中的に叩き始めるわけです。犬に同情しているわけではありません。自分たちの主張内容が否定されてしまうことを恐れてそうするのです。要するに、いわれのないただのイジメです。
どうせ普段から牛ステーキやトンカツや唐揚げを食べて、時には「ジビエ」などと言って鹿やらウサギの肉を楽しんだりしているわけでしょう?
フランス料理には子牛の肉を使うものがよくありますが、子牛といえども食用にするためには薬品で安楽死させるわけにはいきませんので、失血させることによって屠殺するのです。
屠殺された子牛を食しても「正統」だが、ペットロスで苦しんでいる知人に自分のペットを譲る行為は「異端」となる。キリスト教の屁理屈とそっくりですね。