某SNSでよく見かけるクリスチャンの発言に、
「あなたのためにお祈りします」
というのがあります。SNSばかりではなく、実際にも耳にしたことがあるでしょう。言ったこともあるのではないでしょうか。誰かと論争して言い負かされたようなときに発せられる場合が多いようですが、この発言の真意は、
「私はお前が大嫌いだ。神がお前を私にとって都合の良い存在に変えてくれたらいいのに」
ということに過ぎません。
過去の記事、
christian-unabridged-dict.hatenablog.com
でも申しましたが、神は、人に祈ってもらう必要は全くありません。人が祈らなくても神が神でなくなることはありませんし、また、人が求めずとも、何が必要であるかをすでにご存じだということです。マタイの福音書 6:8 には、
あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。
とあります。そして後続の節でイエス様が「主の祈り」を教えられたのは、人が生きていく中で、どのような自分自身であるべきか、そのためにどのようなことを求めていけばいいのかということを考え、整理しながら生活していけばいいね、ということだったのではないかと思います。祈りとは、本来そういうものなのだということを教えられたのです。
ですから、本当に心からその人のために「あなたのためにお祈りします」という気持ちがあるのであれば、少なくとも、言葉にして伝える必要はないはずだということになるでしょう。黙って平和が実現されるところの行動をすればいいだけの話で、そうすることが生き生きと活きている祈りなのだ、ということになるでしょう。
いかがでしょうか、「あなたのためにお祈りします」という発言は、安っぽい皮肉でしかないのです。神を道具にして相手にダメージを与えようとしているわけです。
しかし、お見受けしたところ、クリスチャンというのは、神を手持ち用の銃か装身具程度にしか理解していないタイプの人ばかりですけど(笑)。