キリスト教大辞典

キリスト教の問題点について考える

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教会はブラック企業と同じ構造

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www.kirishin.com

 

キリスト教新聞電子版に、

私が教会を離れた理由 ブラック企業のパワハラと同じ構造 特集「改めて〝和解〟を問う」番外編 Ministry 2018年夏・第38号

という記事があります。匿名で寄せられた手記を記事にしたもの、と紹介されています。

記事をみますと、手記の筆者は、幼少期にいろいろな問題を抱えながら生長し、両親にも問題があって、大学時代にも、就職先の企業にも、その後の信仰生活にもいろいろな問題があり、それらをくぐり抜けてきた有様を赤裸々に綴っておられます。まあ、これだけひっきりなしに問題が発生すれば、退屈とは無縁の刺激的な毎日だったのではないかと拝察するのですが、

中でも興味深い部分を少し引用してみましょう。

私にとってこれは挫折の経験でした。しかし同時に、今まで関わってきた教会が、この会社のありように似ていることに気づきました。「ともかく会社の言うことは絶対」というような、「ともかく神が絶対」という大前提。異を唱えず従うようになることが「成長」。何があっても出社することがまっとうな社会人という価値観と同様に、何があっても礼拝に出るべきという信仰。退職者を「救いようのないダメな人」と揶揄するように、教会を離れた人を「神のみ心に沿わなかった人」と扱う姿勢。悪影響を受けるので退職者との関わりを禁ずるように、教会でもサタンの扱い。1対1の場面では、「先生が」「教会が」「祈ったら」「部長が」「会社が」「直接相談したら」と、誰も責任を取らない。全員で毎度同じ心得を復唱し、偉い人の話を聞いて最後に拍手するという全体朝礼は、教会の礼拝とそっくりでした。

入った会社がブラック企業だった、というのはお気の毒とは思いますが、それでも自分でその会社を選び、いわば好んで飛び込んだのですから、ある程度「仕方がない」と言えなくもないのでしょうが、教会が理不尽なことを言い出すのであれば、行くのをやめればいいだけだと思います。

このころ、母教会の牧師が教会会計から不当に収入を得ていたことが明るみになり、大騒ぎになりました。何年も前の総会議案の中に、「教会の積立は必要に応じて別の使途に使える」という変更をこっそりと盛り込んで賛成採決をとりつけ、会堂維持の積立を崩して自分の給与にしていたのです。子どもたちがみなバイトもせずに都会の私立大に通い、本人は人権派牧師として沖縄問題、憲法問題のため日本中を飛び回れていた理由は、ベテラン地方公務員以上の高収入でした。私が幼いころから20年間真理を求めて頼った牧師は、羊の弱みに付け込んで徹底的に食い荒らす狼のような詐欺師でした。私がブラック企業の給料から信仰の証として納めた何十万円もの献金も闇に解けました。信仰の土台が音を立てて崩れた瞬間でした。

お気の毒とは思うのですが、20年間付き合い続けた牧師の詐欺的傾向を見抜けないなんてどうかしてるとしか思えませんよね。全く何も気づかなかったのでしょうか。

まあ、キリスト教の奇妙奇天烈な教義に疑問一つ感じもしないで、毎週懲りずに変な説教を聴きに通うような輩は、詐欺牧師にしてみれば格好の餌食なのかもしれませんけど。

みなさんもどうぞ気をつけてください(笑)。