キリスト教の問題点について考える

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伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

「演出ミサ」って何?

 

 

 

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『「演出ミサ」に見る危険性と青年の教会離れ』という記事がありました。内容は、カトリック教会における現代的なミサの有り様を批判するものです。一部引用してみましょう。

フォークミサがいけないと主張するほど私は狭量ではない。なかには素晴らしいものもある。しかし、「若者にはフォークミサ」というワンパターンの発想に嫌気がさしている。ちなみに若者向けのミサではカトリックとは無関係な楽曲をとりいれるケースも見られる。たとえば、ひと昔前にヒットした映画の主題歌、「翼をください」が閉祭の歌として用いられる。同様にマイケル・ジャクソンらが歌った"We are the world"なども使われる。しかし、歌謡曲をミサで用いること自体が非常識であり、このような風潮に憤懣やるかたない青年も多い。「俺が教会に求めるものはこんな安っぽいものではない。こんなことをさせられるために俺は洗礼を受けたのではない!」という隠れた差別への反発が彼らの心のうちにはある。教会で遊ぶのも結構だが、けじめくらいはつけなければ話にならない。「教会って堅苦しい所じゃないよ」と友人を誘いたい気持ちはわかる。しかし、聖なる要素がどこにも見出し得ぬ教会には魅力のかけらもない。好奇心に満ちた未信者の期待を裏切るだけである。 

カトリック聖歌集」という、プロテスタントで言えば、昔の「賛美歌」にあたる古い聖歌集がありますが、この171番に「いばらの冠」という有名なコラールがあります。

バッハのマタイ受難曲中に現れる有名なコラールと同じ曲ですので、おそらく多くの方はカトリック聖歌がバッハのコラールを拝借しているのだろう、と考えているのではないかと思うのですが、実はそうではありません。

カトリック聖歌の171番とバッハのコラールには、ある共通の原曲があります、資料をお示しできなくて残念なのですが、フランスの古謡(俗曲)がそれです。教会で歌われる聖歌や賛美歌といえど、昔から民衆は、巷で歌い慣れた、また聞き慣れた親しみのあるものであることを求めたのです。

また、ゴシック建築は、今でこそ教会建築のお手本のように扱われていますが、発生した当初は「グロテスク」だの「教条主義的」だのと散々な悪評価だったことをご存知でしょうか。

僕としては、キリスト教人口が増加してほしいとは希望していませんし、増加するべきだとも思ってはいないのですが、まあ、こんな感じでは根付かないよね、と思うわけです。