キリスト教の問題点について考える

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バッハの宗教音楽

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J.Sバッハといえば、器楽曲、声楽曲、宗教曲など、多くの楽曲を作って今に遺した偉大な作曲家です。殊に、2つの受難曲とミサ曲ロ短調の3曲はバッハの三大宗教曲と呼ばれていて、中でもミサ曲ロ短調は、世の中のすべてのクラシック音楽の中で最高の曲ということになっています。

「ミサ曲」という名前から、また歌詞がラテン語であることからも、なぜバッハが「ミサ曲」を書いたのかわからない、これは宗教曲ではなくてカトリックのミサ曲の形式を借りた声楽曲だ、などと言われる場合があるようですが、ルター教会の聖餐式を「ミサ」と呼ぶことは、特にバッハの時代には当たり前のことであったようですし、キリエやグロリアなどの通常文をラテン語で唱えることは、むしろルター本人によって推奨されていたようです。

ですので「ミサ曲ロ短調」は、バッハによって作曲された、ルター教会の礼拝のためのミサ曲である、と言うことができるのです。ただし、全曲を演奏するために2時間ほどかかること、実際に典礼に用いられたという記録が見つからないこともあり、現実的には演奏会用の曲、という評価もあながち間違いではないと言えるのかもしれません。

バッハはこの他にも4つのミサ曲を作曲していて、これらの曲は規模も小さくて、実際に礼拝で使われた記録もあります。

上に貼った絵画は、ルター教会の聖餐式の様子を描いたものです。オルターボーイが聖餐のパンが信徒の口からこぼれ落ちないよう布を広げていますが、このように、ルター教会の礼拝は、宗教改革により、なにもかも一気に変わってしまうことによって違和感が広がってしまわないように、カトリックの様式が保存されていた、ということであるようです。

 

次に、同じバッハの世俗カンタータ「楽しき狩りこそ我が悦び」BWV208の第2曲、アリア「狩りは神々の愉しみ」をお聞きください

有名な曲ですよね。一度はどこかでお聞きになったことがあるのではないでしょうか。「狩りは神々の愉しみ」というタイトルからもおわかりの通り、これは多神教の神話をモチーフにして作られたカンタータです。

Wikiの「楽しき狩こそ我が悦び」から引用してみましょう。

バッハが仕えていたヴァイマル公ヴィルヘルム・エルンストは、親友であるクリスティアンの誕生日に際し、直属の詩人・楽師による祝典曲を贈ろうと計画していたようである。作詞を詩人ザロモン・フランク、作曲をバッハに命じてクリスティアンに贈呈したと考えられている。当時ヴァイセンフェルスにはヨハン・フィリップ・クリーガーが率いるハイレベルの宮廷楽団があり、バッハやフランクの独力では入り込む余地がない。そこでヴァイマル公の関与があったと推定される。

クリスティアンの趣味が狩猟であったことから、フランクは題材をローマ神話の狩の女神ディアナ(ソプラノ)を中心に、その恋人エンデュミオン(テノール)を司会とし、牧神パン(バス)、野の女神パラス(ソプラノ)によって領地の豊かさと絡めてクリスティアンを讃美するストーリーに仕上げた。バッハはこの台本に、野趣溢れるホルンや牧歌的なリコーダーに彩られた音楽を加えた。さらにオペラを得意としたヴァイセンフェルス宮廷楽団を意識して、オペラの要素を取り入れている。

バッハは偉大なキリスト教音楽の作曲家であったわけですが、ガチガチの保守的キリスト教徒ではなかった、ということのようです。注文があれば多神教の神々を称えるカンタータでも作ることができたのです。

一つの思想に凝り固まって、狭い世界に閉じこもっていたのでは、何かを作り出すことはできないよ、ということなのでしょうね。