キリスト教大辞典

キリスト教の問題点について考える

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什一献金は律法ではなかった

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バル・ミツワー。ユダヤ教徒の成人式

ja.wikipedia.org

聖書の「五書」を「トーラー」、「成文律法」といいますが、そこに書かれている「命令」と思われるものの全てが律法であるわけではありません。

ユダヤ教徒は伝統的に、律法は613である、と定義して数通りの列挙を試みた、ということですが、Wikiには  マイモニデス というラビがまとめた列挙が紹介されていますので、その中から什一税に関する条文を抜き出してみましょう。

202. 什一税となるはずの果物を食べてはならない レビ22:15
249. 「貧しい者への什一」を分離しなさい 申14:28
253. レビ人は、什一税のうちの彼の什一を取り分けなければならない 民 18:26
254. 適切な方法で分離された初物を什一としてはならない 出22:28
260. 各植えつけの年、それをレビ人に与えるために、マアセール(什一)を取り分けなさい 民18:24
261. 第二の什一(マアセール・シェーニー)を取り分けなさい 申14:22
269. それぞれの四年目と七年目とに、什一の告白を読み上げなさい 申26:13
429. Separate the tithe from animals レビ27:32
430. Not to redeem the tithe レビ27:33

 これだけです。「全国民は什一税を収めなさい」という条文は存在しませんね。むしろ、『249. 「貧しい者への什一」を分離しなさい』とあります。申命記の該当箇所を読んでみましょう。

申命記14:28-29

三年の終りごとに、その年の産物の十分の一を、ことごとく持ち出して、町の内にたくわえ、あなたがたのうちに分け前がなく、嗣業を持たないレビびと、および町の内におる寄留の他国人と、孤児と、寡婦を呼んで、それを食べさせ、満足させなければならない。

この条文からは「貧しいもの」は什一税を免除されていたであろう、ということが容易に想像できます。つまり、イスラエルの国民の誰も彼もが什一税を納める義務を負っていたわけではなかったのです。経済的余裕がある富裕な者だけが什一税を収めれば国は回ったということです。貧しいものからむしり取るようなことをしては、国勢が衰えてしまいます。考える力があれば苦労せずに理解することができるはずですよね。

さらに、この条文からは、什一税を収める意義は、レビびとと貧者の救済のため、とありますが、前回記事、

christian-unabridged-dict.hatenablog.com

でも説明しましたとおり、プロテスタント教会は「万人祭司」を主張しているのですから、嗣業を持たない祭司職を経済的に支える、という考え方そのものが成立しません。かといって、教会が、集まった献金から貧しい外国人や寡婦、孤児などを経済的に支援する実例を目にしたことはありません。一体何のために献金の率を指定する必要があるのでしょうか。

六法全書も使い方一つで脅迫の武器になるでしょう。しかし、お前はこれをしなければこういう刑罰を科せられてしまうぞ、などと言うことは違法行為になりかねません。

律法も全く同じことです。むしろ、律法には神の憐れみ深い性質が反映されていると見るべきです。次の条文をご覧ください。

239. 貧しい者のために、農地の角を刈り残しなさい(en:Pe'ah) レビ19:10
240. その角を刈り入れてはならない レビ19:9
241. 落穂(en:Gleaning)を残しなさい レビ19:9
242. 落穂を拾い集めてはならない レビ19:9
243. ブドウ園の収穫漏れを残しなさい レビ19:10
244. ブドウ園の収穫漏れをかき集めてはならない レビ19:10
245. 熟していないブドウを残しなさい レビ19:10
246. 熟していないブドウを摘んではならない レビ19:10
247. 農地に忘れてしまった束を残しなさい 申24:19
248. それらを回収してはならない 申24:19

これらは、畑作をすることができない貧しいものたちが取って飢えを凌ぐことができるように、取り尽くしてはいけない、という定めなのです。ミレーの「落ち穂拾い」という絵画は、この律法を元に描かれたものです。

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また、マラキ書を引用して什一献金を強要する牧師がいるようですが、マラキ書とは

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によれば、

背景
当時、捕囚から帰還した頃は市民権の保証がなく、旱魃や大量発生したイナゴのため凶作が続き、更には周囲に敵意を持つ民族が居住していたため、非常に衰退していた。そのような状態でイスラエルの民は神殿を再建した。しかし、エルサレムはペルシアからも独立出来ず、ハガイ2:2で語られたような約束された栄光を見てはいなかった。

また民の中の資産家はそれを増やす手段を選ばず、軽率な離婚や異邦人との結婚などを行っていた。祭司はそれを止めようともせずにむしろ助長させていた。平気で皆が律法を破るようになっていたのである。

このように祭司の堕落や、軽薄な雑婚・離婚、捧げ物の不履行などが蔓延していた。

上記のようにネヘミヤがエルサレムに不在で人々が混乱に陥っている際にマラキがメッセージを語ったのである。しかし鈍感になっていた民は繰り返される預言に対して「どのように」と繰り返した。(マラ1:2他、多数)その民衆を呼び覚ますために預言者が遣わされたのである。

という特殊な状況下における警鐘として著されたものであって、現代のキリスト教徒に単純に応用できるようなものではない、ということを理解できると思います。

 

上で紹介した前回記事「牧師の地位について」にもかきましたが、牧師というのは信徒が雇用している召使いに過ぎません、ですから、講壇の上から偉そうに金よこせと言い出したら替えドキの目安です。緊張感が薄れて大義名分さえ忘れてしまった証拠ですので、教団に交換を申し出てください。

万一、牧師が教会のオーナー、というような低劣な教会の信徒になってしまっている場合は、迷わず、今すぐ、少しでもマシな組織的教会へ移転してください。

一番良いのは、宗教なんてバカバカしいママゴトだと気づいてやめてしまうことです。