キリスト教大辞典

キリスト教大辞典

キリスト教の問題点について考える

能「鶴亀」と福音書

f:id:christian-unabridged-dict:20200203160345j:plain

www.the-noh.com

以前、有名な能の先生のご自宅へ伺って、謡(うたい)のお稽古を見学させていただく機会がありました。大学生の男子でしたが、まだ習い始めてまもなくだということで、「鶴亀」という曲のお稽古をしておられました。

「それせいようのはるになれば」

と、さほど抑揚のないシテのセリフから入るのですが、今まで「歌う」という習慣が無かったとのことで、どうしても「喉声」になってしまいます。先生が、「腹のそこから出して、もっと腹に力を入れて」と指導するのですが、結果、力んだ喉声にしかなりません。先生、ハタと思いついた様子で、

「あんた、『エエ声』の漫才師知ってるか、ちょっとてんごしてあれの真似してみなはれ」

とおっしゃいました。「てんご」というのは、ふざけて、とか、いたずら、という意味です。学生さん、照れながらも、

「はい、それでは、『エエ声~』」

とやりました。すると先生、

「できた。それ、それでっせ。今、腹に力入ったやろ」

ということで、ソルフェージュの先生が一年ほどかけて指導することを一瞬で伝授された、その現場を目撃させていただいたわけなのですが(笑)、

さて、これから福音書へと繋げるわけですが、勘の良い皆さんは既にお解りでしょう。福音書というものは、この方式で記されているわけです。

エス様のお話を聞いて、心底感服し、本当によく理解することが出来た人がいた、ということを伝えたい、というとき、ツバで捏ねた土を盲人の目に塗ったら、塗られた盲人の目が見えるようになった、と表現し、罵倒され、批判されても怯むことなく堂々と主張し続けた、というときには、大嵐の湖上を難なく歩まれた、と表現するわけです。

てんごで『エエ声~』と言って正しい発声を知ったからと言って、「それせいようのはるになれば」と応用できなくては意味がありません。同様に、言われた文字とおりに教会へ集まってパンを食べてぶどう酒を飲んで「ありがたいね」と言って終わりにしているようではただの迷信家の集まりでしかありませんよね(笑)。