キリスト教の問題点について考える

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邸と王と煩悩

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davidvanatter.com

 

ルカ伝福音書に、「邸と王の喩え話」というくだりがあります。見てみましょう。

ルカ伝14:28-33

あなたがたのうちで、だれかが邸宅を建てようと思うなら、それを仕上げるのに足りるだけの金を持っているかどうかを見るため、まず、すわってその費用を計算しないだろうか。そうしないと、土台をすえただけで完成することができず、見ているみんなの人が、『あの人は建てかけたが、仕上げができなかった』と言ってあざ笑うようになろう。また、どんな王でも、ほかの王と戦いを交えるために出て行く場合には、まず座して、こちらの一万人をもって、二万人を率いて向かって来る敵に対抗できるかどうか、考えて見ないだろうか。もし自分の力にあまれば、敵がまだ遠くにいるうちに、使者を送って、和を求めるであろう。それと同じように、あなたがたのうちで、自分の財産をことごとく捨て切るものでなくては、わたしの弟子となることはできない。

ここでも、イエス様は、全ての財産を捨てなさい、と言っていますね。福音書が伝えるイエス様の教えは、洗礼や、聖餐、復活、死後の福楽、などといった情緒的なことではなくて、この箇所にもあるように、自分の財産をことごとく捨てきりなさい、ということだけなのです。

今持っている財産はもちろんのこと、名誉も、学歴も、立派な家も、良い食事も、一切何も欲しがることは無いのだよ、ということ、ただそれだけです。

そればかりか、イエス様は、安易に「従います」と言う前に、本当にそれができるかどうか、よく考えてみなさい、と言っています。できないことを「します」と言うのは愚かなことだと批判しているのです。

そして、たとえば、劣勢の手駒しか持ち合わせないところへ、優勢の敵が現れたとき、意地を張って攻め込んで、自軍を壊滅させてしまうことと、すべてを捨てて和平を結ぶことと、どちらを選ぶのか、イエス様は後者を選ぶしかないのだよ、と教えます。

みすみす殺されるとわかっていても、「自分の持ち物」を捨て去ることを惜しみ、万が一の奇跡を頼って突っ込んで、結局滅ぼされたとしても、だれにも褒められないで、嘲笑されるしかないだろう、ということです。

結局、欲(煩悩)なんて人生の邪魔物でしか無い。でも、そのことすら理解できない者は、最初から関心を持つな。

これが福音書が示すイエス様の基本的な教えです。