キリスト教の問題点について考える

キリスト教の問題点について考える

伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

キリスト教徒は差別主義者

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旧ブログでも記事として書いたことなのですが、旧ブログでは、あるプロテスタント教会での出来事、として書きましたが、既にその問題発言をした当人も亡くなっていることでしょうから、この際、できるだけ事実通りに書かせていただこうと思います。

大学生のころ、僕はまだキリスト教徒として生活していました。いろいろな教会のイベントや活動などにも参加して、同年代のクリスチャンの知り合いもたくさんいたのです。

そんな中で、ある正教徒の友人がいたのですが、彼が、学校で知り合いになった黒人の友人を教会へ連れていったとき、教会の神父が、

「もう二度と連れてきてはいけない」

と彼に言ったのだそうです。

理由は、もし、その黒人男性が教会を気に入って、洗礼を受けたい、と言い出した場合、教会としては拒否することはできない。そんなことになったら、同じ聖杯から領聖(聖餐)することになってしまう。そうなると他の信者の迷惑になる、ということなのだそうです。

正教会聖餐式は、ぶどう酒の入った金属製の大きな杯に細かく割ったパンを浸し、一つづつスプーンですくい上げて、信者の口に入れる、という方式ですので、正直なところあまり清潔とは言えません。それに、どこの馬の骨とも知れない黒人が加わったら迷惑になるだろう、とその神父は考えたわけです。

さすがにちょっと気が引けますので伏せ字にしますが、神父はさらに、

「◯◯人とか◯◯◯◯◯の人とかも連れてきちゃいけないよ」

と言ったのだそうです。

僕はその話を聞いて、心底びっくりしました。でも、実際そんなものなんでしょうね。そういう僕だって、まるきり差別意識が無いのか、と言えばそれは言い切れません。「ああ、やっぱりな」などと考えてしまうこともあります。しかし、聖職者がそんなこと、とも思いますよね。果たしてどうなんでしょうか。

その友人、彼も幼児洗礼ですが、「教会は悪いところ」ということになってしまったようです。でも、考えようによっては、キリスト教の教理が差別そのものですよね。神父はキリスト教的には正しかったのかもしれません。