キリスト教大辞典

キリスト教の問題点について考える

伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

教会とハラスメント

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「引退牧師の娘日記」というブログがあります。

その中の、「牧師家庭の苦しみ」という記事をご紹介しましょう。

私が育った教会は、牧師である父の前任牧師が自死したとされる教会です。牧師を「自死」に至らしめた教会の問題が放置されたまま、「牧師の自死」という「あってはならないこと」を時間によって有耶無耶にするため教会が存続することになりました。そのため、牧師家庭への人権侵害は凄まじいものがありました。

精神的にだけでなく、経済的にも追い詰められました。酷いときは、父の、牧師としての年収がわずか四十万円程でした。

人権侵害の一部を以下に紹介します。

·献金をやめてみて、牧師家庭が苦しむのを見て教会員が楽しむ。(人として最低です)

·生活保護を受けながら牧師を続けるよう要求される。(拒否)

·牧師の娘である私には、社会的弱者との結婚が求められる。
(私の結婚は教会員が決めることではないので拒否)

·クリスマスイブに、私が死んだときの生命保険金を教会員が受けとりたいと言い出す
(保険金殺人じゃあるまいし拒否、牧師の子の命はこういう扱いを受けます!)

·牧師を脅すときは、牧師の娘(私)を脅すことで目的を果たそうとする
(小学生のとき首を絞める真似をされたり、暴力団を連れてきて脅されたり)

·カエルの子はカエルだ。高卒の親(父)の子(私)は高卒でなければならないため、ミッションスクールから閉め出されます。
(私はキリスト教界への反発もあり、最終学歴は国立大学大学院修士課程修了です。)

もしかしたら、それはカルト団体の話だと思われる方がいるかもしれませんが、カルトではない(カルトと疑いをかけられることもない)プロテスタント教会の話です。

こんな状況でも、私はグレることはありませんでしたが、大学進学を機にキリスト教界から離れることになります。教界の外を生きていた方が安全で幸せだったからです。

しかし、私の思いはガンジーのそれと同じ「イエス·キリストは好きだがクリスチャンは嫌い」です。今は求道者として、自分を受け入れてくれる教会を探しています。

え、これ、本当のことなの? って思ってしまいます。

特に「献金をやめてみて、牧師家庭が苦しむのを見て教会員が楽しむ。」なんて、会員の大多数が牧師に悪意をもっていた、ということになると思いますが、本当にそうなんでしょうか。

生活保護を受けながら牧師を続けるよう要求される。」とありますが、牧師が生活保護を受けるなんていうことは、所属教団に対してとても恥ずかしいことだと思うのですがどうなのでしょうか。

少なくとも、僕の所属していた教会では考えられないことです。牧師招聘ということは、頭をたれて弊教会へ来ていただく、ということですから、そもそもそんな扱いをするはずがないわけです。プロテスタントの教団といっても様々ある、ということなのでしょうか。

このブロガーの方は、「今は求道者として、自分を受け入れてくれる教会を探しています。」と仰っていますが、「自分が受け入れることができる」教会を探されるべきでしょうね。というより、キリスト教はご自分にとって必要なのかどうか、からお考えになってはいかがでしょうか。

 

別の記事「牧師を軽蔑するようになったきっかけ」という記事から、一部引用します。

私が小学校5年生の時に、A教会で牧師会が開かれ、会議の後、牧師たちの食事会が開かれました。

会議が終わって、牧師たちは、まるで子供がはしゃぐみたいに出てくることを期待している豪華な料理を、手伝うことなく、ただ待っていました。ところが、出てきたのは、質素な精進料理です。ご飯と味噌汁と漬物と母がお情けで作ってあげた煮物。

食事会が終わって、片付けをしているとき、頭にきました。牧師たちが食べ残した料理をほとんど捨てなければなりませんでした。父は、「ひとりだけ、全部食べていった牧師がいる。この席に座っていたのは、J先生だ。」と嬉しそうにしていましたが、全然凄いことなんかじゃない、そんなの当たり前じゃないかと思いました。きっと、父(牧師)のことだから、懇親会の最中に、耳の痛いお説教を沢山して、牧師たちが喉に何も通らない状況を作ったんじゃないかと思いますが、それでも、出された料理は食べて帰るのがマナーだと思います。

お父上を侮辱するつもりではありませんが、この教団、牧師も酷いですね。よその家で出された食事を残すなんて、とてもではありませんが、考えられないことです。中国では、出された料理を平らげてしまうことはマナー違反ですが、これは日本での話です。ご飯と味噌汁と漬物と煮物が並べば立派なごちそうです。出された食事を残さずいただくなんていうことは、牧師だのキリスト教徒だのの前に人間として当たり前にできるべきことであるはずですよね。

牧師たちの間で、A教会は、「禁酒、禁煙のとんでもない教会」として非難されていました。

僕の知る限り、教会は全室禁煙でしたし、牧師でタバコを吸う人は一人もいません。また、教会で酒盛りをすることなんて無いわけですから、教会が禁酒でも別に不自由は無いはずです。

教派によっては随分自由みたいですね。自由っていうか、爛れてますよね。教派というよりは、キリスト教にモラルを求めるほうが間違いなんでしょうけど(笑)。