古い話題で恐縮なのですが、2014年12月22日のワシントン・ポストの記事に、教皇フランシスコが「教皇庁を蝕む15の病」を語った、とあります。
15の病とは
- 自分たちが不滅で不可欠だという感覚 「自らを批判し改革できない法王庁は病気だ」
- 働き過ぎ 「仕事をしたら休むことが必要」
- 心が石のように頑固になること 「泣いている人と共に泣き、喜ぶ人と共に喜ぶ。人間的な繊細さを失うのは危ない」
- 計画しすぎること 「計画を変更しない方が楽かもしれないが、神のみ心に従う自由を失ってはいけない」
- 調和なく動くこと 「和が乱れれば、雑音が混じる楽団のようになる」
- 妄執や誤った考えにとらわれること
- 張り合ったり虚飾に走ったりすること
- 現実に向き合わないこと 「聖職者の役割を放棄して官僚主義的な仕事に収まり、自分たちだけの別世界を作る」
- 陰口を言うこと 「はっきり物の言えない臆病者の病気だ。『陰口というテロ』に警戒を」
- 上司の神格化 「出世第一主義と日和見主義の餌食だ」
- 他者への無関心
- お葬式のような深刻な顔 「伝道者は喜びを伝えなければならない」
- 物欲
- 閉じられた「内輪」を優先すること
- 世俗的な利益を求め、見えを張ること
教皇フランシスコは、バチカンのあり方を変えようとしているのでしょうか、しかし、バチカンを良識に基づく常識的な組織に変革しようとするなら、解体、消滅させる他に方法は無い、と思うのですがいかがでしょうか。
曽野綾子氏の「不在の部屋」という著作がありますが、第二バチカン公会議による現代化がもたらした、教会の陳腐化を描く問題作です。
キリスト教も、発足当初から産業革命のあたりまでは、モダンで洗練された一つの文化として安定していたのかもしれませんが、そろそろ化けの皮が剥がれてきたのでしょう。新しい考えの教皇が現れて、教会の本質である「病気」そのものを批判する時代が到来した、ということなのでしょうか。
宗教とは、怪しげな僧侶が大げさな衣装を着け、わけのわからない呪文を唱えながら理不尽な思想を口走る、そのようなものでなくてはならないのです。
衣装を脱いで、だれにでもわかる口語で親切に説明を始めたら、実はとてもつまらないものだった、ということでしょう。