キリスト教の問題点について考える

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伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

結局のところ、神様っているの?

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そんなこと言っちゃったらこのブログの結論ってことになるんじゃないの? いいえ。ご心配にはおよびません。やってみましょう。

『結局のところ、神様っているの?』

いません。神様はいないのです。おそらくいないだろう、いないと思うよ、そんなものではありません。100%、確実に存在しません。

なぜそんなことが言えるのだ、そう思ってもそんな風に言い切ることはできないはずだ、と思われたでしょう。

なぜなら、我々の感覚で感じ取ることができないからです。また、人間の長い歴史の中において、共有できる経験が全く存在しないことも大きな理由でしょう。

人間の感覚は思いの外優れたものです。夏の晴れた日は暑い、冬の雪の日は寒い、と感じることができますし、まだ共有されていないような特別な感覚についても周知され始めているようです。

つまり、神がいるのであれば、それを感覚で認識できないはずがない、と言うべきでしょうし、神が、ことさらそれを認識できないように操作している、というのであれば、そうであるところの合理的な理由がわかりません。これほど自由に神について思念を巡らすことが可能であるのに、神を認識することができないのですから。

人間が一生懸命になって考え出しても、神とは、禁忌事項を数え上げて押し付けるような存在でしかありません、性や食、排泄といったような人間の生活の根本を否定し、不食、無性などといった絵空事で生きていくことを理想にする歪曲の具現化のようなものにしかならないのが現実です。

田舎の役場の、ヒマを持て余してる木っ端役人のような神を作り上げて、必死になって

「赦してください、死んだら天国へどうぞよろしく」

とお願いするなんて、気が狂ってるとしか思えません(笑)。