キリスト教大辞典

キリスト教の問題点について考える

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神の赦しとは何か

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上記、ハフィントンポストの記事を見つけました。一部引用しましょう。

警察の供述調書によると、フロリダ州タラハシーヤコブ・チャペル・バプティスト教会に所属しているO・ジャーメイン・シモンズ・シニア牧師(36)は1月17日、クレイニシャ・スティーヴンズさんの自宅から裸で逃走した。結婚して7年になるクレイニシャさんの夫が、2人がベッドで寝ているのを見つけたからだ。
夫のベンジャミン・スティーヴンズさんは、ピストルを持って牧師を追いかけた。しかし、妻が警察を呼び、警察が柵の後ろに裸で隠れている牧師を先に発見した。

牧師が十戒に反した行いをして世間に晒された、というわけです。この件では図らずも公になってしまいましたが、世に知らされないで済んでいるこのようなことが、他にどれほどあるのでしょうか。

そして、次の記述をご覧ください。

シモンズ牧師は、牧師を辞めるつもりはない、と話した。

「私はすでに神から望むもの受け取っています。それは、赦しです」と、シモンズ牧師は動画の中で語った。「もし私が説教をやめたら、神が私に与えた使命をここでやめたら、どうなるでしょう。前提として、そもそも私には神の教えを説く資格があるのです。過去は忘れ、前に進みましょう」 

常識的に考えれば、キリスト教徒の模範であるべき牧師が、信徒の既婚女性と性行為を行い、夫にその現場を見つかって裸で逃げ出す、というような無様なことを行っておいて、赦されて元通り、何事もなかったかのように牧師を続ける、なんて考えられないことだと思うのですが、実際は「神に赦された」と言いさえすればそれでご破算になってしまうようです。

牧師であれば、人をころしても、捕まらなければ「神に赦された」でOKになるのでしょうか、ちょっと例えがアレかもしれませんが(笑)。

結局、キリスト教なんて何もかも空想なんですよ。悪いことをしても「神に赦された」といえば無かったことになるし、「私の使命だ」といえば仕事を辞めなくても済むわけです。牧師という仕事の美味しさを知って辞められなくなってしまったのでしょう。

どうやら、牧師は倫理に反した怠惰なクズ、という観察が正しいようですよ(笑)。