キリスト教の問題点について考える

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伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

地の塩とは

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前記事「聖霊降臨とは - キリスト教大辞典」に、以下のご指摘がありました。

あなたも『聖書は(ヘブル的視点で)解読しないと本質は理解できない』というお立場なのですかね?

『注意深く何を言いたいのかを探りながら読み進めなければ、迷信と呪いの指南書に成り下がってしまいます。そうなってしまった例が、現在のキリスト教という宗教です。』の意味について。 

そして以下のようにお答えしたのですが、

違います。日本語で、です。日本語でも『注意深く』行きたいものです(笑)。

 

これ、早合点してお答えしてしまったようです。ヘブライ語に精通していなければ理解できないと考えているのか、と聞かれた、と早合点してしまいました。そうではなくて「ヘブル的視点」が必要と考えているのか、ということだったのですね。

改めてお答えしますと、ある程度は必要だろうと考えています。たとえば、次の福音書の箇所です。

マタイによる福音 5:13

あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。

 日本では、塩と言えば海水から精製したものであって、米屋とかスーパーなどで購入するもの、という理解になるでしょうが、死海周辺においては、上の写真のように塩の塊がゴロゴロあって、周辺の住民はいつでもこれを持って帰って、塩として使用することができたわけです。

このような状況がわからなければ、「あなたがたは、地の塩である」の真意を汲み取ることができないでしょう。塩のように、地面に転がっていて、必要なときにすぐに役にたつ、そのような、人にとってなくてはならない存在になりなさい、と言っているわけですが、写真のように塩が地面に落ちている状況を知らない限り、何のことなのかはっきりしないのでは無いかと思います。

また、「塩のききめがなくなったら」とは、塩がただの白い粉になってしまったら、という意味?ってことになりますよね。でも、塩が写真のような状況であることがわかれば、「なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。」の意味を理解することができるでしょう。

残念ながら、ヘブル的視点が全く無い状態でも聖書は理解できるよ、とは言えないでしょうね。それほど「普遍的」な内容ではありません。そういう説明を省いて読み進めると、勝手な解釈が発生して、多くの場合、迷信につながっていると思います。