キリスト教大辞典

キリスト教の問題点について考える

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喪中はがき

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bunshun.jp

 

立冬ですね。2017年の立冬は11月7日です。この日から2018年の立春、2月4日までの間が「冬」だということですね。

 

毎年だいたいこの頃にやってくるのが「喪中はがき」です。そしていつも、文面の表現がおかしいです。最近のを見ますと、

喪中につき新年のご挨拶をご遠慮申し上げます

とありますが、これでは、「遠慮」するのが、差出人なのか受取人なのかはっきりしませんね。

喪中と年賀の関係を正しく整理するのであれば、家族から死者を出したものは一年間穢れているので、年賀を申し上げることは失礼なことですから、こちらからは年賀をいたしません、ということになるでしょう。しかし、年内に喪中はがきを出すということは、喪中だから年賀のはがきをくれるな、という気持ちを表しているように感じます。

喪中の人は、喪中でありながら年賀を行うのは失礼だから行わない、喪中でない人は、礼儀として年賀を行うのであって、相手が喪中であろうとなかろうと関係ない、ということになります。ですから、喪中だからという理由で年賀を断ることは無礼なことなのです。また、年賀はしませんよ、と宣言することもおかしなことです。

喪中の家族に対して年賀を行うこと、年賀状を送ることは失礼でも何でもない、常識的な礼儀だということで、喪中の人が,年賀状のような お祝い事を行うことが失礼なこと、非常識なことだ、ということなのです。

それではどうするのが一番正しいのかといいますと、喪中の人は、「喪中はがき」を出さず、「年賀状」も出しません。受け取った年賀状に対しては、松が明けたころに、喪中だったので年賀を遠慮させて頂いた旨を書き添えた「寒中見舞い」を出す、ということになるでしょうか。死者を出して穢れていて、お祝いをできる立場ではないから年賀状は出せないのだ、ということですね。なお、「穢れている」というのは、汚らしい、ということではなく「気枯れている」という意味で、活き活きとしていない、意気消沈している、というような状態を表しています。これらは日本の神道の考え方です。

どうも、今、私は喪に服して悲しんでいる最中だから、祝いを寄越すような非礼なことは謹んでくれ、という気持ちで喪中はがきを出している人がいるような気がしますが、ものすごくトンチンカンなことだと思います。

 

さて、「キリスト教大辞典」にこの記事を書いているのはなぜかと言いますと、キリスト教徒からも喪中はがきが来るからです。この記事を読んでくださっているキリスト教徒の皆さんも喪中はがきを出したことがありませんか?あるいはキリスト教徒から喪中はがきを受け取ったことはありませんか?

喪中はがきを出すということは、「穢れ」という神道思想に従っていることになるのではないでしょうか。キリスト教徒も喪中だけは神道氏子に豹変するようです。しかも、こちらは今、悲劇の主人公中だからそれぐらい気をきかせろよ、と上から命令しているかのような滑稽な文面で(笑)。