キリスト教の問題点について考える

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落ち穂拾い

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落穂拾い (絵画) - Wikipedia

 

ミレーの落穂ひろいです。旧約の律法を主題にしていることはご存じだったでしょうか。

 

落穂拾い - Wikipedia を見てみましょう。 

旧約聖書レビ記」19章9節から10節に定められた律法に、「穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。…これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。」とある。また「レビ記」23章22節には「畑から穀物を刈り取るときは、その畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。貧しい者や寄留者のために残しておきなさい。」、「申命記」24章19節には「畑で穀物を刈り入れるとき、一束畑に忘れても、取りに戻ってはならない。それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。」とある。これは近代の農村社会でも貧者の権利として一部に残っていた慣習である。
「ルツ記」では、未亡人となったルツが義母のナオミを養うために、裕福な遠縁の親戚ボアズの畑で落穂拾いをする。ボアズは姑につくすルツに好意をもっていた。この姑ナオミのおかげで、ルツとボアズは結ばれ、ダヴィデの祖先となる。
ジャン=フランソワ・ミレーの絵画「落穂拾い」のテーマでもあり、農村の貧しき人々を描いただけの作品ではない。

 律法は、人間を緊縛するための禁忌事項で満たされた冷徹な文書ではありませんでした。貧者をいたわり、異教徒である外国人にも配慮した、人間性豊かな思想が現れた法であったのです。

マラキ書には、十分の一税を怠るなという戒めがありますが、落穂ひろいの箇所を読めば、誰にでも一律に適用されたわけではなかったのであろうと想像できます。まずは貧しいものをいたわってやれ。いわばこれがモーセの律法の精神だったのです。

什一献金というならば、その前に貧しい信者には教会が生活の保証をする、という条件が必要になるでしょう。