黙示録には「大淫婦バビロン」という表現が何回か出てきます。見てみましょう
黙示録 14:8
また、ほかの第二の御使が、続いてきて言った、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。その不品行に対する激しい怒りのぶどう酒を、あらゆる国民に飲ませた者」。
黙示録 16:19
大いなる都は三つに裂かれ、諸国民の町々は倒れた。神は大いなるバビロンを思い起し、これに神の激しい怒りのぶどう酒の杯を与えられた。
黙示録 17:5
その額には、一つの名がしるされていた。それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。
黙示録 18:2
彼は力強い声で叫んで言った、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつ、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつとなった。
黙示録 18:10
彼女の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえに対するさばきは、一瞬にしてきた』。
黙示録 18:21
すると、ひとりの力強い御使が、大きなひきうすのような石を持ちあげ、それを海に投げ込んで言った、「大いなる都バビロンは、このように激しく打ち倒され、そして、全く姿を消してしまう。
によれば、
堕落しきった女として暗喩されているものの正体はローマ帝国であり、彼女が乗る7つの首の獣はローマ帝国の7つの丘(もしくは7人の皇帝)を示しているとされる。ここで言うローマ帝国は古代ローマであり、キリスト教への迫害が強かったとされる時期のローマを指している。
とあり、「バビロン」はローマ帝国を示す暗喩だと説明されています。ローマ帝国はキリスト教徒を虐めるので嫌いだった、というわけですが、
christian-unabridged-dict.hatenablog.com
でご紹介したように、キリスト国教化前でもキリスト教徒は過激で野蛮なテロ行為を繰り返していたので、ローマ帝国から正当な制裁を受けていただけのことです。宗教主流派になったのをいいことに、「迫害を受けた」と正当化しているだけのことなのです。
黙示録には何と書いてあるでしょうか。『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえに対するさばきは、一瞬にしてきた』。と悪態の限りを尽くして扱き下ろしていますよね。「あなたの敵を愛しなさい」という指導に反していることが「聖書」に記されている。これは事実だと認識しなければなりません。
それよりも重要なことは、悪態の限りを尽くして貶し尽くしたローマ帝国の、もしその国教にならなければキリスト教なんて今頃影も形も存在しないだろうということです。
「預言」なんて、一時的な感情による書きなぐりの駄文に過ぎない。これが正直なところでしょう。
「大淫婦」と言って軽蔑した相手に救ってもらって、キリスト教は生きているのです。恥ずかしいとは思わないのでしょうか。しかも凶悪なテロ行為に対する正当な制裁に反発しているだけなのです。
キリスト教が常に孕んでいる凶悪な要素について、例えば次のサイトで説明されています。
第1回十字軍のとき、1098年の厳しい冬の時期にシリア北西部の都市マアッラで行われた攻防戦で飢えた兵士が人肉食を行った。1099年の夏には、エルサレム奪還のためにユダヤ人やイスラム教信者を虐殺した。また、キリスト教のカタリ派がローマ・カトリック教会から異端のらく印を押され大量虐殺された例など枚挙にいとまがない。また、古代ユダヤ人が、神であるヤハウェの指示のもと、エリコの街中のすべての老若男女(と獣)を殺した行為も、彼らが選ばれた民であることを確信させるために行われた(旧約聖書、申命記6:21)。