キリスト教の問題点について考える

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伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

東京サレジオ学園への手紙

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Don Bosco Our Inspiration – Yarforum

 

東京サレジオ学園への手紙 というサイトがあります。上の肖像画はイタリア人司祭「ヨハネ・ボスコ」という人物ですが、この人が設立した修道会がサレジオ会で、東京サレジオ学園は、サレジオ会が経営する養護施設です。

 

東京サレジオ学園への手紙を書いた人は、この養護施設の出身者であって、施設で育った9年間の間に、担当の神父から受けた性的虐待について記されています。一部引用しましょう。

小学4年生から、たぶん5年生までのあいだ、 T・M神父から性行為を強要された記憶が、イメージだけでなく、感覚、感情も含め、 すべての記憶が戻ってきました。 当時の神父の言葉、身体に受ける刺激、手や身体などで性行為を強制される感覚。 心が当時に戻り、再度、その場面を体験しているかのようでした。 それがフラッシュバックと呼ばれる現象であることを知ったのかなり後でした。

  この記憶は、ずっと私の脳裏につきまとい、いつまでも離れませんでした。 仕事をしていても、電車に乗っても、子どもと接していても、この映像や感覚が流れ込み、渦巻き、 取り憑かれるようになりました。思わず大声を出したり、逃げだそうとしたり、 まともに生活をすることが困難になりました。性虐待の記憶がよみがえったことなど、 誰にも相談することはできず、1人で悶々としていました。 再び、死ぬことばかりを考えるようになりました。

 

いかがでしょうか、キリスト教は人に幸福をもたらしますか? 逆ですよね。人に苦痛と憎しみを与え、人生を破壊してしまう危険な遊戯なのです。もう少し引用を続けます。

 

記憶の回復は、まだ続いていました。フラッシュバックは、安心しているときに、突然やってきました。 昨年は、 T・M神父の部屋にいた別の男の子を思いだしました。

その男の子は、小学5年から中学3年の卒園まで、私がずっと憎み続けていた男の子でした。 記憶を亡くしたにも関わらず、その子を憎み続け、仲良くすることが出来ませんでした。 いま思えば、同じ被害者でありながら、嫉妬していたのでしょう。 被害者同士が憎しみあう、まるで地獄絵図の世界です。

  親のいない子ども、ぬくもりを知らない子どもにとっては、性虐待ですら、数少 ないぬくもりとして受け入れていたのだと思います。 人恋しく大人を求める子どもの気持ちを、おのれの性的欲求のために利用する。 しかも、信者である子どもに対し、絶対的な指導者であり、子どもを育み守るべき神父が、 子どもたちを陵辱する。それも、何人もの子どもを、何年間にも渡って。

 

虐待であってもぬくもりだったと回想して告白する。この人が言うように、それはまさに地獄絵図ですね。

これはキリスト教の単なる特殊な一局面ではないと思います。このような性質は、キリスト教の根幹をなす基本的な構造だと言えると思います。