皆さんは内村鑑三をごぞんじでしょう。僕もいくつかの著作を読んではいるのですが、結局このひとも、教会の言っている天国や地獄の思想に振り回されているように感じます。無教会主義を掲げてはいますが、その主義は教会が主張している思想そのままなのであって、教会でうまくやれなかった人が教会からはじき出されて教会を批判しているだけなのではないか、と思いました。
しかし、次の短い作品を読んでみると、案外ちゃんとした考えがあったのかも、と思わされます。
冒頭から少し引用してみましょう。
問、足下は日本の基督教は今より何年を
期 して復興すると考 へらるゝや。
答、教会 は草木 又 は動物 の如き自然物 にあらず、草木は時期 を定 めて花 を有 ち菓 を結 び、小児 は或 る時期 を経過 すれば成人 して智力 の啓発 に至るべし、然 れども教会 は人為的 なり、復興 せんと欲 せば明日 、今日 、之 を復興 するを得 べし、而して其 復興 の方 たるや、安楽椅子 に倚 り罹 り、或は柔軟 なる膝褥 の上 に跪 き如何程 祈祷 叫号 するも無益 なり、暑 を山上に避 けながら眼下 に群住 する憐 れなる数万の異教徒 の為 めに祈願 を込 めるも無益 なり、教会 復興 の方策 とは教導師 先 づ躬 から身 を捐 つるにあり、彼 の家族 の安楽 を犠牲 に供 するにあり、若 しミツシヨンより金を貰 ふ事 が精神上 彼 と彼 の教会 の上に害 ありと信 ずれば直 に之を絶 つにあり、我れ饑 ゆるとも可なり、我の妻子 にして路頭 に迷 ふに至るも我は忍 ばん、真理 は我と我の家族 より大なり、此 決心 を実行 あらん乎 、教会 は直 に復興 し始 むべし、是 れなからん乎、復興は世 の終 まで待 つも来 らざるべし。
「先生は、教会がいまよりもっと隆盛になるまで、何年ぐらいかかると考えますか。」
という問に対して、
「明日でも、いや、今日すぐにでも。そのためには、椅子に掛けたまま、あるいは柔らかいクッションに跪いたままでいくら苦しい顔をしてお祈りをしても役にはたたないし、涼しい山の上から異教徒たちを見下ろしてお祈りをしても役には立たない。教会の指導者たちは、まず、自分の身を捨てて、家族の生活の安定をも求めず、教団から給料を得ることが理想実現の妨げになるのであればそこから離脱して、自分が餓えて家族が路頭に迷ったとしても、真理は自分や家族よりも大切なことである、という理解とその実行力があれば教会は今すぐにでも隆盛になるだろうし、なければ、世の終わりまで待ってもならないのだよ。」
と答えています。
内村は、教会が自分の意のままにならないからという理由だけで無教会を掲げたわけではなかったようです。
福音書には、洗礼を受けることや聖餐に与ることではなくて、財産を捨てることが、真理へと至る唯一の道である、と記されていることを、内村は知っていたのです。