キリスト教の問題点について考える

キリスト教の問題点について考える

伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

反キリスト教運動

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ja.wikipedia.org

 

仇教運動」をご存知でしょうか。Wikiには、

教案(きょうあん)とは、19世紀末以降の中国(清帝国)において、西洋から伝わったキリスト教カトリックプロテスタント正教会)に対する排撃運動(仇教運動)を背景に発生した衝突事件である。統計によると1840年から1900年までの間に400件以上発生したという。

原因としては、

19世紀末に宣教師が布教と滞在を認められるようになった。治外法権のもと、宣教師のみならず、中国人の信者も教会の庇護のもとに置かれた。文化・風俗の違いからキリスト教徒と非キリスト教徒の間では衝突が絶えず、不良信者が民衆を威圧するということもあった。地方政府は往々にして治外法権を恐れ、西洋人とのトラブルを公に処理しなかったので、教案が発生するようになった。
  • 社会変動
清末は伝統社会が解体しつつある変動の時代であり、各地で秘密結社がおこった。これら秘密結社は教会・西洋人などを仇敵視した。
  • 流言
当時、西洋人の病院では子供の目をくりぬいて薬の材料にしている等のデマが広がり、デマを信じた民衆が西洋人への反感を強めた。
教会は纏足など悪習の打破を訴え、立憲・民主などの新しい思想を伝えたため、守旧派から仇敵視された。

などがあげられる。

と記されています。

キャッチアイ画像を引用したWikiの「義和団の乱」 という項には、

外国人宣教師やその信者たちと、郷紳や一般民衆との確執・事件を仇教事件(史料では「教案」と表記される)という。具体的には信者と一般民衆との土地境界線争いに宣教師が介入したり、教会建設への反感からくる確執といった民事事件などから発展したものが多い。1860年代から、史料には「教案」の文字が見られはじめ、1890年代になると主に長江流域で多発するようになる。事件の発生は、列強への反感を次第に募らせていった。何故なら、布教活動や宣教師のみならず、同じ中国人であるはずの信者も不平等条約によって強固に守られ、時には軍事力による威嚇を用いることさえあったため、おおむね事件は教会側に有利に妥結することが多かったからである。地方官の裁定に不満な民衆は、教会や神父たち、信者を襲い、暴力的に解決しようとすることが多かった。太平天国平定の功労者であった曽国藩ですら、もし外国人の方に非があったとしても、公文書に記載し事を大きくしてはならないと述べたという。民衆の間には外国人は官僚より三等上という認識が広がっていった。

という説明があります。大清帝国の国民は、西洋によるキリスト教布教が、宗教教理の敷衍、思想や情操の向上のため、といったような建前の裏に、経済的受益、ヨーロッパ勢力圏の拡大、といったような物理欲、本音が隠れていることを見抜いていたわけです。

小川未明、といえば「日本のアンデルセン」と言われる代表的な児童文学者ですが、彼には珍しく随筆が残されています。

www.aozora.gr.jp

 

すぐに読めてしまうような短い作品ですが、この「反キリスト教運動」とは、大清帝国における、上記の「仇教運動」のことを指しています。少し引用してみましょう。

一体宗教というものが科学によって破壊されるものかどうかと云うことが疑問だ。科学によって破壊されるような宗教は宗教ではない。換言すれば、知識によって破壊されるような信仰は信仰ということが出来ない。私は人間の安心というものが科学によってのみ保証されるとは思っていない。人間性というものが、科学との間に矛盾を来たすとも考えていない。唯物史観は真理であるけれども、人間の精神的の飛躍がなかったら創造されぬ如く、感情の真も知識の真も畢竟するところ合致すべき一点があるように考えられる。

印象的な表現ですよね。ノーベル賞を受賞した吉野彰さんは、『若者のうちには、最近の科学においては、自然科学のほぼ全てを網羅し尽くした、と考えているような人が多くいるように見受けられるが、実際には、ほんの1%の解明をも未だ成してはいないだろう』と発言していました。

自然科学を宗教を通して観察するとき、先を通り越して言下に否定することは正しいことでしょうか。「宣教」しているつもりのキリスト教であってさえ、偏った見識の一つでしかありません。それであれば、別の地方の歴史や文化を否定したり潰したりしてはいけないのではないでしょうか。

私はアルツィバーセフの作にあった一節、彼のピラトがシモンに向って、「おれはあのユダヤの乞食哲学者に対しては不思議な感じがした。そしてその云うことに対して何物をか感ぜぬわけには行かなかった。然し彼でないお前は一体何んであるか?」と罵った言葉を思い出さずにはいられない。本当に真の愛と真の反抗と、真の憤りというものが、キリストだけにあって、またキリストと共に死んでしまったものかも分らない。皆誰でもがキリストの通った道を歩き得るものとは限らないから。無意味な形の上だけでは歩いていても、その精神をまで継ぎ得たと何んで云えよう。

 宗教のフリをしながら、西欧が清国に商業と侵略を行う有様を見て、未明はシモンがキリストではなかったように、彼らもまたキリストでは無い、と批判したわけです。

キリスト教徒」と自称するからには、「キリスト」でなければならない。未明の主張は正しいと思います。