キリスト教の問題点について考える

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教育勅語とキリスト教

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ブログ「しばやんの日々」に「西洋流の立身出世主義教育を憂いた明治天皇と教育勅語」という記事があります。教育勅語、と聞くと右傾向の思想家によるお題目に利用されているだけのものなのではないか、と思われる人が少なくないのではないかと思うのですが、この記事を読めば、教育勅語の本当の意味を知ることができると思います。

少し引用してみましょう。

わが国が近代国家として西欧の侵略主義に対抗するためには、西欧の技術や科学や文化などをそのまま取り込んで自分のものとして利用していくこともある程度は必要であったろう。しかしながら、昔からの伝統文化や風習などを否定して多くを破壊し、なんでもかんでも西洋のやり方をまねようとする政府のやり方に国民の不満が高まり、欧化主義施策に対する反動としてわが国の歴史や伝統・文化を見直そうとする考えが強まっていったのである。

日本は急いで西欧化しなくてはならない。それは西欧の侵略主義に対抗する最も有効な防衛となる、という考えに冒されて、憑かれたようにその方向へと進むあまり、温存するべき日本の文化を破壊しようとしてしまったわけです。

国立教育政策研究所の『教育図書館』のサイトに、当時のウィルソン・リーダーと教科書の画像が出ている。上の画像は、アメリカのウィルソン・リーダーである。
そして、下の画像はそれを直訳しただけの日本の教科書だが、これが英語の教科書ではなく国語の教科書であることは驚きである。しかも、教科書の挿絵まで外国風に描かれている。こんな不自然な直訳教科書で小学校低学年の国語の勉強が出来るとはとても思えないのだが、この教科書が明治六年には全国で用いられたのだという。
では国語以外の教科ではどうかというと、これも似たり寄ったりであったようだ。菊池寛は同上書で教科書の記述の一部を紹介している。
「『ゼオガラヒーとは即ち地理学という義にして、地球表面の事を説き明かすなり。地理学に三種あり、ナチューラル、ポリチカル、マテマチカルという。ナチューラル・ゼオガラヒーは地形や真水海島などの自然に由るものを、説き明かす学なり……』
これを小学校の低学年生徒は、何のことか分からないままに棒暗記させられているのである。」

キリスト教もこれと同じことでしょう。宗教というものは、本来、社会性の一つの局面であるはずです。家族、地域、社会で共有される文化でなくてはならないのです。日本のキリスト教徒を見ていると、そうではなくて、むしろ特異性を楽しんでいるようにしか見えません、西欧文化にあこがれて『何のことか分からないままに棒暗記』しているに過ぎないわけです。これでは宗教としての最低条件を満たせるはずがありません。

教育勅語は、キリスト教では知ることのできない、日本の生活に即した優れた教訓であると思います。次のようなものです。

汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義を以って交わり、へりくだって気随気儘の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、・・・ 

いかがでしょうか、聖書全巻を読むよりも、このかんたんな文章があればいいのではないでしょうか。

 ぜひ、上記の原記事をご覧になってみてください。