キリスト教の問題点について考える

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キリスト教の正統と異端

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greekcitytimes.com

 

キリスト教には「正統」と「異端」がある、と言いますが、何が正統で、何が異端なのでしょうか。

まずは、一番最初に「キリスト教」であると認識された、ローマ帝国によって定義された組織、これを、正統なキリスト教組織であると考えましょう。まだ、カトリック、正教、といった区別はなかったはずです。帝国内の主要な5つの都市に総主教座が配され、名目上の「最も尊崇せらるる」ところの総主教座はエルサレム総主教座であって、最も盛んな総主教座は、新都コンスタンチノポリの総主教座、上の写真のアヤ・ソフィア教会だったはずです。

この状態が安定するまでには、「Wiki-異端」の説明にあるとおり、グノーシス主義アリウス派、安定後であっても、単性論、ネストリウス派などの、正統派に反する考えを主張するグループが現れて、これを「異端」と呼びました。

異端とは、Wiki-異端によれば、

宗教において、正統を自負する教派が、正統とする教理・教義に対立する教義を排斥するため、そのような教義をもつ者または教派団体に付す標識。

とあるように、自らを正統と考えている団体が、他の団体に対して言う表現なのですから、例えば、エホバの証人は、自らを正統と考えているのですから、彼らから見てカトリック教会は教義上間違っている、として、異端である、と言うのであれば、カトリックは異端である、と言うことも成り立ちます。

しかし、それでは話がややこしくなってしまいますので、冒頭で申し上げたように、五大総主教座の伝統に基づく教会を正統とするならば、ローマの使徒座(カトリック教会)はその伝統から逸脱しかけた時点で、異端となった、ということになるでしょう。カトリックは、ローマの使徒座は、ペトロの使徒の首長としての権能を受け継ぐものであり、逸脱したのは他の四主教座である、と主張していますが、マルコ福音書の次の箇所

エスは弟子たちに尋ねられた、「あなたがたは途中で何を論じていたのか」。彼らは黙っていた。それは途中で、だれが一ばん偉いかと、互に論じ合っていたからである。そこで、イエスはすわって十二弟子を呼び、そして言われた、「だれでも一ばん先になろうと思うならば、一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばならない」。

を読めば、使徒の長として受け継がれるべき権能、というようなものは存在せず、存在したとしても、それはイエス様の意思に反するところである、ということを知ることができると思います。

事実、プロテスタントが派生し、教会が細分化してしまったのは、ローマの使徒座が五大総主教区のコミュニティから離脱してしまったからです。あとに残った主教区、現在で言う正教会からは、プロテスタント教会のような離反者は出ていません。

では、カトリック教会は正教会からみて、今でも異端なのでしょうか。そうではありません。離反して別の団体になってしまいましたので、異端ではなくて異教であって、カトリック信者は正教から見ると「異教徒」ということになります。

プロテスタントの場合も、たとえ「メインライン」であろうと、少数派であろうと、全て「異教」ということになります。正統派からみればキリスト教でさえないわけです。

キリスト教徒には、「異端」という言葉を便利な武器のように乱用する人が多いように感じますが、キリスト教が差別やヘイトを基調として成立した、という事実の痕跡なのでしょう。面白いですね。

まあ、いまでも某SNSなどを見てると、皮肉を言ったり、罵倒したり、相変わらず未洗練で未成熟な有様を露呈して満足しているようですけどね(笑)。