キリスト教の問題点について考える

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賀川豊彦について

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前列中央が賀川豊彦プリンストン大学に留学する前に、スラムの子供たちと

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賀川豊彦をご存知でしょうか。貧者の救済や平和運動などに生涯をささげたプロテスタントキリスト教徒で、生協(コープ)の創設者でもある人です。

僕は、キリスト教にどのような問題があろうとも、他にどれほど汚れた痕跡をみようとも、この清廉潔白な神の笛一本があれば、充分にキリスト教の真実を知るところの鑑たりうると信じていました。

例えば、賀川の業績の一つ、次の記述をお読みください。

1919 消費組合というものは、生産階級と消費者が結びあって、社会的秩序と互助組織をつくるものであり、そうすることによって商業上の投機もなくなり、労働階級からの搾取もなくなると、賀川は確信した。そこでまず、大阪に購買組合共益社を、1921年には神戸購買組合、灘購買組合、1926年に東京学生消費組合、1927年に江東消費組合、1928年に中郷質庫信用組合をそれぞれ組織した。中郷質庫信用組合というのは、スラムの人々が気楽に出入りでき、手軽に安い利息で品物をあずけて金を借り、約束の期日にたとえ支払ができなくとも、品物に対する権利がなくならないようにと、自分たちの手で質屋を経営しようというのがその主旨であった。この企ては全くスラムの人々に福音となり、ながく利用されて今日に至っている。

賀川の具体的で実践的なアイデア、精力的な実行力が、現実の世の中に救済を施す有様を知るに及んで、まさに神の力が世に及ぶところの実際を知る思いをいたしました。

 

しかしながら、実際はそれほど単純なものではありませんでした。賀川の業績が偉大なものであることには違いはありません。それは変わりはしないのですが、Wikliの「賀川豊彦」には次のような記述があります。

大宅壮一によると、賀川はクリスチャンかつ労働運動・社会運動の指導者的立場ながら、昭和天皇・皇室の熱烈な支持者でもあり、日本社会における天皇天皇制)の存在意義を積極的に認めていたという。日本社会党結党の際には、中間派の浅沼稲次郎らと共に中心メンバーとなり、結党大会で「天皇陛下万歳」三唱の音頭を取ったことで、社会党左派との内部対立を引き起こした。 

 また、このような記述も。

自身が結成した日本MTLを率いてハンセン病患者への宣教と慰問を中心に活動していたが、やがて、優生学に傾倒しハンセン病患者の淘汰を目的とした無癩県運動へと活動の重点を移していった。

また、夜の仕事に就く女性、就かざるを得ない女性に対しても、女性差別的な持論を展開している。連合国軍占領下の日本において米兵による婦女子の強姦事件が多発していた頃、『婦人公論』1947年8月号で「闇の女に堕ちる女性は、多くの欠陥を持っている」とし、パンパンについては「わざと悪に接近」するような悪魔的なところがあり、「一種の変成社会における精神分裂病患者である」と指摘した。

別に天皇家を尊敬するな、とまでは言いませんが、キリスト教徒の社会主義者が「天皇陛下万歳」とはどういうことなのでしょうか。

無癩県運動とは、癩病患者を摘発し、療養所に強制収容させた社会運動であって、罹患者が療養所内で一生暮らす事を強いられ、ハンセン病に対する誤解偏見を助長するところの、誤った運動であったと評価されるものでした。賀川一人が誤ったわけではありませんが、人に寄り添う心の持ち主であれば、避け得た愚行であったのではないかと思わざるを得ません。

また、強姦の被害女性に対して、彼女自身に欠陥があるからそういうことになるのだ、という発言はどうでしょうか、キリスト教徒として正しいのでしょうか。また、売春を行う女性に対して、精神分裂病患者だと言うのはどういう理屈なのでしょうか。

幼少時より、心から尊敬していた人が、偏見と差別という闇を心に潜めた低劣な俗人だったとは情けない話です。

キリスト教から学ぶべきところは全くない、ということです(笑)。