キリスト教の問題点について考える

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キリスト教が迫害される理由

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キリスト教信者の皆さんは、キリスト教が犯罪を行う、と聞いても、何を馬鹿な、と思われるかもしれませんが、「キリスト教の犯罪歴史の概略」というサイトには、キリスト教が犯してきたおぞましい犯罪の数々が語られています。

見てみましょう。

キリスト教信者は、自分達の教会こそ最大の犯罪者なのに、ローマ時代のキリスト教殉教者の役割をこれまでずっと強調してきました。しかし、実際はキリスト教の為に死んだ人の数は極めて少数でした。カールハインツ・デシュナーは色んな歴史の研究者 (教会の研究者を含めて)の論文を調べた結果、ローマ時代のキリスト教信者を襲ったという「十回の迫害波」は伝説、つまり作り話しでしかなかった事が判明しました。キリスト教の偉大な人物オリゲネス(254年死亡)はキリスト教の殉教者の数は10指に満たないと述べました。

キリスト教側の、神学者オリゲネス自身がそう言っている、というのですから、真実なのでしょう。

日本の殉教物語も同じようなことだったことが説明されています。

九州では、キリスト教の熱狂信者が、「偶象破壊」として仏教の崇拝物や経典を壊したり、仏塔を解体して薪にし、バテレン(伴天連、キリスト教宣教師)の風呂の燃料にしました。当時、キリスト教に改宗した日本人も仏像に排便した事をバテレンが書き残しました。1988年2月10日、ドイツの日本歴史研究者パウリ博士(Dr.Ulrich Pauly)はその頃の出来事をドイツ文化会館での講演「鎖国」(原稿出版:Ulrich Pauly “Sakoku” Zu den Hintergruenden von Japans Weg in die nationale Abschliessung unter Tokugawa; OAG aktuell Nr.36)で明らかにしています。

一般的に、キリスト教が迫害された理由として、平等を説いたので、身分制度を敷く政治的には不都合だったため、と言われていますが、仏教はキリスト教以上に平等を説いている、と言えると思いますが、仏教はその理由で迫害はされていないですよね。

潜伏キリシタンの末裔」であれば、キリスト教徒としての価値が上がるかと思っているカトリック信者は、先祖が器物破損を行った犯罪者であり、我が国の文化財に排便して外国人神父におもねった売国奴であったのだ、という現実に目を向けるべきでしょう。

キリスト教が迫害されたのは、ローマ帝国においても、また日本においても、彼らが違法行為を行ったがためであり、迫害ではなく、実際には制圧のためだった、と言えるのではないでしょうか。

三位一体についてはどうでしょうか。

実はコンスタンチヌス大帝在位中の325年、小アジアのニカイア(英語ではニケーア)に最初の全キリスト教会議が行われました。ニカイア宗教会議ではカトリックアタナシウス派アリウス派は二ヶ月以上もイエス・キリストの本質について論じられました。イエスは神と同じ本質か、或いは神と似ている、つまり神に最も近い、でもちょっと違う本質か、それが問題でした。homousiosかhomoiusiosか?何と無意味な問題でしょう。とうとうコンスタンチヌスは堪忍袋の緒を切らし、カトリックアタナシウス派の三位一体説を正統と決めました。

まもなくアタナシウス派は二ヶ月以上議論した相手であるアリウス派司教や聖職者、および信者を迫害し始めました。カトリックの大教父、聖アタナシウス自身は敵のアリウス派の支持者を殺す様に人々をそそのかしました。コンスタンチヌスの帝国ではアリウス派の著作を所有しているだけでも死刑を宣告されました。

実際に迫害を行うものは、キリスト教徒だったということが真実だったのです。反対するものを殺害しながら、キリスト教の教理は成立していったということです。

日本は、明治以降、欧米諸国を手本とし、彼らの文化に倣いながら発展してきました。だから、彼らの宗教を批判することを遠慮していただけのことなのです。ですから、キリスト教といえば尊い宗教、と奉って、見苦しい傷口を押し隠し続けていたのですが、実際には腐臭の漂う現実を引きづっていたのだ、ということなのでしょう。

また、教会は、現在もなお異端審問を続けており、現実に、科学の発展を阻もうとしています。

ベサリウスの命を奪った同じ犯人であるカトリック教会は現在も、解剖学者ハーゲン博士(Prof.Dr.med.Gunther von Hagen)のプラスティネーションで保存された人体の展覧会に大反対し、これを禁止しようとしています。まるで中世に戻った様です。勿論、現在では教会が平気で自然科学者等を焼き殺すことはできないでしょう。しかし、一般の人々が、ハーゲン博士の展覧会によって人間体の機能が明らかにされ、そこに永遠の魂を見つけることができなければ、教会は、人々の魂を救うという教会の役割を果たせなくなってしまうことを恐れるのです。知識は人間の自律を促すものです。それゆえ、悪魔が聖水を嫌う様に、教会は知識を嫌うのです。 

 ほかにも興味深い現実を知ることができる記述があります。是非お読みください。