キリスト教の問題点について考える

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「地獄からの悪魔」と呼ばれた教皇

 

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ja.wikipedia.org

 

「聖職者に扮した地獄からの悪魔」と呼ばれた教皇をご存知でしょうか。Wikiには、

ベネディクトゥス9世(Benedictus IX、1012年頃 - 1055年ないし1065年ないし1085年)はローマ教皇(在位:1032年10月 - 1044年9月、1045年4月 - 5月、1047年11月 - 1048年7月)。退位と復位を繰り返し前後3期にわたって在位した個性の強い教皇である。

 とあって、さらに、

伝承によると、ベネディクトゥスは放蕩に明け暮れるでたらめな生活を送ったという。ペトルス・ダミアニはその著作『ゴモラの書』においてベネディクトゥス9世を「聖職者に扮した地獄からの悪魔」に喩え、教皇庁の腐敗やベネディクトゥスの同性愛行為を批判した。またピアチェンツァ司教ベンノーもベネディクトゥスの犯した「嫌悪すべき姦淫と殺人」を糾弾した。後年、教皇ウィクトル3世は「ベネディクトゥスの強姦、殺人、そして口に出せないような所業」について調査を行わせており、その結論として「彼の教皇としての生涯は嫌悪すべきもので、腐りきったもので、忌まわしいものでしかない。私は身震いを禁じえない」と述べている。 

ともあります。ヨーロッパの中世といえば、もとより何でもありの混沌とした時代であったのでしょうが、それにしても、殺人犯の教皇とは驚きですね。

聖職者たりえない少年が、なにゆえ教皇位に就けたのかといいますと、教皇の選挙権と被選挙権は「枢機卿」にある、という決まりは現在と同じなのですが、当時、というか第二バチカン以前は、俗人であっても枢機卿に就任することができたのです。

ですから、彼の父である、貴族トゥスクルム伯アルベリクス3世が、息子を教皇にさせたい、と望んで、彼に枢機卿位と教皇位を買い与えた、ということは、それほど違法的なことでも不自然なことでもなかったのだろうと思われます。これ以外にも俗人が教皇位に就いたという例はいくつかあるようです。

教皇というのは聖職ですので、教皇位に就いた時点で聖職者になる、ということになるでしょう。現在は、司教でなければ枢機卿になれない、という規則が追加されています。

それにしても、教皇がローマを追放されたり、教皇位を売買したり、奪取したり、その結果複数の教皇が互いに争い合うなど、後に宗教改革が勃発してしまうのも無理のないこと、と理解できます。