キリスト教の問題点について考える

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伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

カトリック司教が修道女をレイプ

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この事件における深刻な問題は、

 被害者の修道女は6月下旬、2014年から2016年にかけてムラッカル容疑者に13回レイプされたと告訴していた。しかしインドで最もカトリック教徒の人口が多いケララ州の警察は、9月に入るまでムラッカル容疑者の正式な取り調べを行わなかった。

 この警察の怠慢が怒りを呼び、修道女5人と支援者数十人が数日間にわたって抗議デモを行った。インドのカトリック教会で、内部から反発が出るのは異例。

 とあるように、カトリック教会を取り巻く隠蔽体質にあるでしょう。

 

こういうことが起きると、「キリスト教徒も人間だから」、「聖職者といってもただの人間だから」、甚だしきは「罪深いという自覚があるからこそキリスト教徒になったわけだから」などと言うのを聞いたことがありますが、聞き苦しい詭弁でしかありませんよね。

神の召しを得たと感じてキリスト教徒になっても、聖職者になっても、結果として反社会的な犯罪者を生じさせることしかできないのなら、そんなものは不必要だということになるでしょう。プロテスタント正教会も同じことです。