キリスト教大辞典

キリスト教大辞典

キリスト教の問題点について考える

民族と宗教

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オーストリア人の神職だそうです。珍しいですね。國學院神道を学んで神職になった、とありますから、神道世界のキャリア、とでも言うべき、いわばエリートですね。しかし、いかに日本が好き、といえども、外国人に日本の神職が務まるものでしょうか。

寝ても覚めてもつまらない迷信に振り回されながら暮らしし、大戸には注連縄、大神棚を始め、仏間には仏壇、不浄には烏枢沙摩明王、久度(竈)には愛宕神社の札があり、季節季節にはうぶすなの祭りがあり、冠婚葬祭を報告する。そのような神との関わりがあってこそ、初めて神職足り得るのではないのか、と思われたのではないでしょうか。

 

同様のことをもっと強く感じるのはキリスト教徒のようですよ。米国人の知人が日本観光に来られたとき、カトリック信者だということでしたので、日本風建築で有名な、ある教会へご案内したのですが、

「きれいな建築で、珍しいミサを見ることができて、とても良かったが、日本人の神父に告解したり、日本人の神父から聖体を拝領しようとは思わない。」

と言っていました。日本人のキリスト教徒は、まるでカルト信者のようだ、とも、ミサが終わったのに、若い人がいつまでも教会から立ち去らないのが不思議、とも言っていました。

日本には日本の文化があるのに、どういう理由でキリスト教にハマってしまうのか、がわからない、のだそうです。

宗教は文化の一端でしかない。本場のキリスト教徒はそのことをよく理解できているのです。

 

日本人は、金髪の神職をみても、彼からは祓えを受けたくない、とか、御籤を受けたくない、とかは、おそらく思わないでしょう。そもそも日本の神は、入会儀礼前の人はお断り、とか、教派が違う人はダメ、なんてことはいいません。どの国の民族であれ、子供でもオトナでも、穏やかな心で、安寧な一日を過ごせるように、と願う人を拒否しない存在です。