キリスト教の問題点について考える

キリスト教の問題点について考える

伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

民族と宗教

f:id:christian-unabridged-dict:20180709140659j:plain

オーストリア人の神職だそうです。珍しいですね。國學院神道を学んで神職になった、とありますから、神道世界のキャリア、とでも言うべき、いわばエリートですね。しかし、いかに日本が好き、といえども、外国人に日本の神職が務まるものでしょうか。

寝ても覚めてもつまらない迷信に振り回されながら暮らしし、大戸には注連縄、大神棚を始め、仏間には仏壇、不浄には烏枢沙摩明王、久度(竈)には愛宕神社の札があり、季節季節にはうぶすなの祭りがあり、冠婚葬祭を報告する。そのような神との関わりがあってこそ、初めて神職足り得るのではないのか、と思われたのではないでしょうか。

 

同様のことをもっと強く感じるのはキリスト教徒のようですよ。米国人の知人が日本観光に来られたとき、カトリック信者だということでしたので、日本風建築で有名な、ある教会へご案内したのですが、

「きれいな建築で、珍しいミサを見ることができて、とても良かったが、日本人の神父に告解したり、日本人の神父から聖体を拝領しようとは思わない。」

と言っていました。日本人のキリスト教徒は、まるでカルト信者のようだ、とも、ミサが終わったのに、若い人がいつまでも教会から立ち去らないのが不思議、とも言っていました。

日本には日本の文化があるのに、どういう理由でキリスト教にハマってしまうのか、がわからない、のだそうです。

宗教は文化の一端でしかない。本場のキリスト教徒はそのことをよく理解できているのです。

 

日本人は、金髪の神職をみても、彼からは祓えを受けたくない、とか、御籤を受けたくない、とかは、おそらく思わないでしょう。そもそも日本の神は、入会儀礼前の人はお断り、とか、教派が違う人はダメ、なんてことはいいません。どの国の民族であれ、子供でもオトナでも、穏やかな心で、安寧な一日を過ごせるように、と願う人を拒否しない存在です。