ユダヤ教とキリスト教、イスラームは旧約聖書を、キリスト教とイスラームは新約聖書を教義経典に採用していることから、3つの宗教の神は同じ神である、と言われることがあります。
アッラーフ - Wikipedia には、次の説明があります。
イスラームの教えは先行するユダヤ教・キリスト教を確証するものであるとされるため、アッラーフはユダヤ教・キリスト教のヤハウェと同じであるとされる。一方でユダヤ教、キリスト教はこれを認めていないが、近年キリスト教の一部でも同じ神として礼拝をしている教会もある。
しかし、同じ教典を元にしているから、というだけの理由で、それらが同じ神である、と言うには無理があるでしょう。旧約聖書はユダヤ教のオリジナルだとしても(厳密にいえばそれさえもそうは言い切れないのでしょうが)、キリスト教と旧約聖書の関係は相当あやふやです。あえて言えば、新約聖書は旧約聖書ありきで著されている、ということでしょう。だから、ユダヤ教、すなわち旧約聖書とは無関係とは言えない、という程度の結びつきでしかありません。キリスト教の実体は、キリスト教成立当時、地中海沿岸あたりで流行していた民族宗教が変化してまとめられたものに過ぎないのです。
イスラームについては、Wiki「アッラーフ」で、
考古学的見地では、ヤハウェとイスラーム教の唯一神アッラーフは別の起源であり、イスラム教の唯一神アッラーフは、630年以前は、カアバ神殿に祭祀されていた最高神の呼称である。イスラム教でいうジャーヒリーヤ(無明時代)に、カアバ神殿に祭祀されていた360の神々の最高神がアッラーフとされていた。
と説明されているように、元々はアラビアの多神教であったものを、洗練された最新の流行宗教である、キリスト教に影響されて、整理し直したもの、と言えるわけです。
キリスト教もイスラームも、自分たちの権威をアピールするために、一から教典を新作するのは面倒だから、既成の教典をパクって転用したということですね。
また、本来であれば「神」という言葉は、日本の神を指す言葉であって、キリスト教の、空想の絶対君主的立場を表すために用いるのは誤りであるわけです。日本人はそれを禁止まではしませんが、同Wikiによれば、
東方正教会のアンティオキア総主教庁、アッシリア東方教会(ネストリウス派)、シリア正教会 (非カルケドン派)などでは、創造主を「アッラーフ」と訳している。しかしながらマレーシアではイスラム教徒以外が用いることが制限されており、同国でカトリック系新聞『ヘラルド』が掲載した際には、政府から使用禁止が命じられた。この使用禁止命令は、一時はマレーシアの高等裁判所により取り消され、使用を認める判決が下されたが、2013年10月14日、マレーシアの上訴裁判所は高裁判決を破棄して、イスラム教徒でない人々が神を表す言葉として「アラー」を使うことを禁じる判決を下した。
とあります。「アラー」が「神」同様に、一般名詞のようなものであっても、国によっては、イスラームのそれ以外に対しては用いてはならない、と禁止されているわけです。
キリスト教の神を 「アラー」と呼ぶなんて、とあざ笑ったあなた、「神」と呼ぶのも同じように変なことなんですよ。「神」と呼ぶことは、習合の一つだと思います。伊勢の神宮で柏手を打って国家の安泰を願うのと同じことでしょう。
これからは「神」とは言わず、「アドナイ」とか「エロヒーム」とか「エルシャッダイ」とか言うようにお勧めしますよ(笑)。