キリスト教の問題点について考える

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伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

「護教」とは何のことか

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Una Voce Japan (UVJ) | ウナ・ヴォーチェ・ジャパンのホームページ

 

「護教の盾」というサイトを発見しました。

gokyo.web.fc2.com


  • 聖体拝領時の跪き
  • 手による聖体拝領
  • 両形態の聖体拝領
  • トリエント・ミサ
  • 海外記事翻訳もどき
  • お勧めの本
  • 驚くべき新聞記事
  • 赤羽根惠吉氏講演
  • 他界からの警告

などの下位ページがあります。何を主張しているのかと言いますと、要するに第二バチカン公会議以降の新しい様式によるミサ(ノーブスオルド・ミッサ)を否定し、それ以前の旧様式によるミサ(トリエント・ミッサ)を懐かしむ、ということのようです。

新しいミサ - Wikipedia によれば、その違いは、

廃止された点
以前の奉献文(Offertorium)のほとんどの祈りが廃止された。
省略された点
多くの十字架の印、跪き、イエズスの名前における会釈、聖体を触れた後での指の清めなどが省略された。
ミサにおける司祭の個人的な祈りは省略された。
以前まで3枚であった祭壇布が1枚に省略され、聖遺物を置く義務も省略され、名前も「祭壇 altare」から「食卓 mensa」に変わった。
変更された点
聖変化の言葉が変更され、聖変化が歴史的叙述となった。
司式司祭の個人的な行為よりも、信徒の司祭職による記念に強調が移行した。
追加された点
今まで唯一であったローマ・カノン(典文)に加えて3つの別の奉献文(Prex Eucharistica)が付け加えられた。
今まで女性が立ち入ることが禁止されていた至聖所で女性が典礼奉仕することが出来るようになった。 

 などと説明されています。まあ、要するに簡略化されたということでしょう。それで、「護教の盾」では、その簡略化が間違いであるのだ、と主張しているわけです。たとえば、聖体拝領(聖餐式)のとき、信者が手に聖体を受けること、跪かずに立ったまま受けること、などが間違いだということです。

その根拠として、デルコル神父という人物の著作を引用しています。引用しましょう。

 370年頃に、聖バジリオ司教は、「迫害のときにだけ、そして、司祭または助祭がいない時だけ、信徒は、自分の手でご聖体をいただくことが許されるが、それ以外の場合は、この行為は許されていない」と断言しました。

 380年に行われたスペインのサラゴツァの司教会議では、「迫害のときに許されていたように、迫害のない時に、ご聖体を手にとる信者を破門する」というほどになりました。その20年後に行われた、やはり、スペインのトレド第1司教会議でも同じことがきめられました(破門)。

 404年には、すなわち、インノチェンシオ1世教皇のときに、ローマで司教会議が行われて、いろんなことが決定されました。その中で、信者はご聖体を口で受けるようにときめられました。この会議の250年ほど後に、フランスのルアン市の司教アウドエノは、ローマの典礼にあずかってから自分の教区に帰ったとき、「これから、ローマの習慣に従う」と荘厳に発表しました。

 ローマでは、もちろん、この習慣が守られてきたのです。440年から461年まで在位だった大聖レオ教皇は、ご聖体は口で受けなければならないと、明らかに宣言しました。

 535年から教皇となった聖アガピトは、唖で身体障害者だったひとりの貧しい人の口にご聖体をさずけたところ、その人は突然完全に癒されました。この奇跡を見た人々は、喜びのあまり泣いていました。

 590年から教皇の座についた大聖グレゴリオは、その伝記に、口にご聖体をさずけていたことが記されています。

『「最初の1000年間は手で頂いていました」などとツラッとした顔して断言する司祭はいかに信頼に値しないものであるかが分かると思います。』

ツラっとした顔、がどのような顔なのかわからないのですが、古式を参考にしようといのであれば、なぜ590年、せいぜい370年までしか遡らないのでしょうか。

聖体拝領というのは、福音書の最後の晩餐についての記事を再現するところの儀式なのですから、最も正式に模倣するのであれば福音書に従えばいいのです。簡単なことです。イエス様はパンを弟子の口にねじ込んだとはかかれていませんよね。弟子たちはイエス様が手で割って分けたパンを自分の手で食べて、盃も自分の手で持って飲んだに違いありません。

ということは、新しいミサのほうが古いミサよりも福音書に忠実だということになりますね。

結局、「護教」といいますが、イエス様の教えを守りたい、と考えているわけではなく、懐古趣味、儀式好き、というだけのことであって、自分の趣味に合っていなければ、論理正であっても否定してしまっているわけです。

本当に現代の様式は間違っていて、16世紀のトリエント公会議の議決が正しいと考えているのなら、まず、エレクトロニクスの恩恵に浴するのはやめるべきでしょうね。インターネットなど以ての外でしょう(笑)。

 

追記:

その後「護教の盾」を読んでいて、驚いた箇所がありますので、ご紹介しておきます。

手による聖体拝領はオランダの背教者どもから始まった Part 1 というページですが、「オランダ新カテキズム」という教理本を出版するに際しての、東京の白柳大司教の注釈文が紹介されています。

聖体における臨在の継続期間

 意見が異るかも知れないもう一つのささいなことについて述べよう。聖体におけるイエスの臨在はいつ終るか。それは、見える現実、パンの形がなくなった時である。時には、化学あるいは自然科学において答えを求めた。だが形はここで科学的な意味で考えるべきだろうか。こう自問した方がよくないだろうか、すなわち、一般的に云えば、また普通の知覚から云えば、何がまだパンとして現われているのか。そういったところから、聖体における臨在の継続について判断するはずだろう。

これはびっくりです。カトリック教会は、聖変化後の聖体は、キリストの体そのものである、と考えているはずです。これを「実体変化説」といいます。

しかし、この注釈では、「臨在」といっていますし、その期間があたかも有限であることを認めているかのように理解できます。

いつのまにか、カトリックの聖体理解が変更されたのでしょうか、あるいは元々「臨在」という理解だったことを、僕が知らなかっただけなのでしょうか(そんなことはないはずですが)。

おそらく、ウアテクストでは、挑戦的な意味を込めて「臨在」と著したのでしょう。この際、白柳氏は「臨在」ではなくて「実体」だと訂正しなければならなかったのではないでしょうか、それを、ついうっかり、臨在の定義を訂正してしまったのでしょう。もし本当にそうならば、うっかりもいいところだと思います。

「臨在」というのは、カルバン教会が行っている聖餐理解です。

「臨在の幕屋」で、イスラエルの神は幕屋の至聖所に臨在する、と言いますが、だからと言って、幕屋や幕屋の至聖所が神の実体だ、という理解にはなりませんよね。「臨在」と「実体」は異なる意味合いです。

そして、「護教の盾」としては、聖体を手で受ける、ということを非難するばかりで、「臨在」と「実体」の違い、間違いについては、指摘一つ行っているわけでもなさそうです。やはり、こういう手合の人というのは、所作事にだけ興味があって、理屈などはどうでもよいのでしょう。キリスト教の「実態」はこの程度のものですよ(笑)。