キリスト教大辞典

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キリスト教の問題点について考える

主の祈りに見る宗教性

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マタイ、ルカ福音書には、イエス様ご自身が弟子たちに「主の祈り」を教えたという記述があります。この祈りが示唆するところの真意は、以下の記事

で説明したとおりです。もう一度書いて置きましょう。

(天にいますわれらの父よ、)
世の中に真理というものがもしあるなら、見て聞きましょう。

(御名があがめられますように。)
その真理から目をそむけない自分自身であるように、

(御国がきますように。)
その真理へ立ち向かって進んでいく自分自身であるように、

(みこころが天に行われるとおり、)
上辺だけでなく、

(地にも行われますように。)
実践できる自分自身であるように、

(わたしたちの日ごとの食物を、)
虚飾ではなく

(きょうもお与えください。)
誰に何が必要であるかを知る努力をする自分自身であるように、

(わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、)
失敗を笑わず、

(わたしたちの負債をもおゆるしください。)
失敗を認めて反省する自分自身であるように、

(わたしたちを試みに会わせないで、)
しかし失敗を恐れず

(悪しき者からお救いください。)
立ち向かえる自分自身でもあるように努めます。

ユダヤ教には「シェマー・イスラエル」ではじまる、律法全体を象徴する、代表的な祈りがあります。

福音書で、イエス様は、この祈りについて次のように説明しています。

マルコ福音書 12:28-31

ひとりの律法学者がきて、彼らが互に論じ合っているのを聞き、またイエスが巧みに答えられたのを認めて、イエスに質問した、「すべてのいましめの中で、どれが第一のものですか」。イエスは答えられた、「第一のいましめはこれである、『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない」。

にも関わらず、イエス様が、シェマー・イスラエルでもなく、ラビによる伝統的な祈りでもなく、「主の祈り」を教えた、ということはどういうことなのでしょうか。

それは、神は実際には存在しない、ということを言い表しているわけです。「主」と表現しなくてはならないところを「父」と言い表している理由も同じです。

天(理想郷)に君臨するところのものは神ではなく、もっと具体的な人間の精神性そのものなのだよ、と教えているのです。

福音書でイエス様がこう祈りなさいといったから祈る。でも、「祈る」ではなく「読唱」しているだけですよね。それでは何一つなしえないでしょう。